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あつじ所長の漢字漫談3 かっこよくキメたい「真夏の夜の夢」ーー盆の巻

2017.08.08

あつじ所長の漢字漫談3 かっこよくキメたい「真夏の夜の夢」ーー盆の巻

 すっかり暑くなりました。まもなくお盆です。

 いまの暦では8月中旬に設定される「お盆」は、モノの本によれば、仏教で語られる地獄の責め苦の一つで、死者があの世で受ける「さかさづり」の苦痛をなぐさめるためにインドではじまった行事がルーツだとか。そしてその時期を漢字で「盆」と書くのは、古代インドのことばであるサンスクリット語で「さかさづり」を意味するウランバーナということばを、中国で「盂蘭盆」と音訳したことによります(異説もあるようですが)。

  さて、「盆と正月」、すなわち夏のお盆と年末のお正月は、かつての日本では「藪入り」とよばれる時節でした。江戸時代の社会には「定休日」というものがなく、大工などの職人は雨がふったりしたら適当に休んでいましたが、幕府の役所も寺子屋も商家もほぼ年中無休でした。そんな中で商家の奉公人たちは、正月と7月16日(旧暦)だけは休暇をもらえました。

 この日、奉公人たちは主人からなにがしかのお小遣いと手土産をもらって親元に帰省しましたが、遠くから来ている奉公人や実家がすでになくなってしまった者たちの中には、芝居や人形浄瑠璃、あるいは寄席などの見物にでかけた者もいたらしく、藪入りの盛り場はたいへんなにぎわいだったそうです。

 しかしこの風習は近代ビジネスの興隆とともに商家の「住みこみ奉公」がなくなり、週休制が定着して、急激に衰退しました。いまでは単に「盆と正月」という言葉がのこるだけとなっています。

  ところで、京都は盆地だという時の「盆」を、私は大学生のころまでずっと、お茶などを載せて運ぶあの「ぼん」、つまりトレイのことだと思っていました。同じように考えている人も、世間にはきっとたくさんおられると思いますが、しかしあの平らな「ぼん」では、どう考えても「盆地」の形になりません。

 また「覆水は盆に返らず」ということわざがありますが、そもそも「覆水」(こぼれた水)が、あんな平たい「ぼん」に返るはずがありません。

 この「盆」が、どんぶり鉢のように深みのある容器のことだと知ったのは、中国語の授業で「臉盆」(リィェンペン 洗面器)という単語を習った時でした。またかつての中国の大学や職場の食堂は非常に混雑したので、多くの人は小さな洗面器のような容器を食堂に持参して、そこにご飯と料理をいれてもらい、自分の部屋に持ちかえって食べたものですが、その小さな容器を「飯盆」(ファンペン)と呼びました。

 そんな「盆」という道具は、実際には非常に早くから使われていました。写真は西安郊外にある新石器時代の「半坡遺跡」から発見された「陶盆」(著者撮影)で、上部の直径が40センチ近くある大きなもの、遺跡の年代は紀元前4500年前後と推定されますから、いまから6000年ほど前のもの、ということになります。
217toubon.jpg

  川のほとりで釣りをしていた呂尚という人物が周からの使者と出会って話をしているうちに、あなたこそはわれらが大公様がずっと待ち望んでおられた素晴らしい人物だと評価されて、のちに周が殷を倒す際の功臣となりました。この故事から釣り人のことを「太公望」というようになったのですが、呂尚は若いころ本ばかり読んでいてちっとも仕事をせず、あまりの貧しさに妻が離縁を申し出ました。

 だがやがて彼が出世して斉という国の王となると、逃げた妻がおずおずと出てきて復縁を願い出ました。

 そのとき呂尚は鉢(=盆)に入れた水を地面にぱっと撒き「おまえは私のもとを去ったのに、いまこうして復縁をせまる。でも鉢からこぼれた水は、二度ともとの容器には戻らないのだよ」と告げました。

 いちど離婚した夫婦は元通りにならないということのたとえとして使われる「覆水は盆に返らず」の物語ですが、それにしても、私も一度くらいは足下にひれ伏して泣くオンナに向かって水を撒き、かっこいいセリフを決めてみたいものです。まぁしょせんは「真夏の夜の夢」でしょうけどね。

《参考リンク》
漢字ペディアで「盆」を調べよう
漢字ペディアで「覆水盆に返らず」を調べよう

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。

《記事上部画像》
hiropixx / PIXTA(ピクスタ)

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