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あつじ所長の漢字漫談23 一世代は30年

2018.02.16

あつじ所長の漢字漫談23 一世代は30年

 これまで仕事や旅行で、長期短期とりまぜ、中国にはかれこれ50回ほど行きました。仕事や学会などで行くのはだいたい北京か上海ですが、漢字関係の調査や取材では古代の遺跡に行くことが多く、黄河流域を中心にいろんなところに行きましたが、中国は面積が広く、おまけに歴史が長いので、ときどきビックリするような遺跡にも出あいます。

 古くから山岳信仰のメッカであった泰山は、秦の始皇帝が全国を統一したことを神に報告する祭りをおこなった山で、その時に建てた石碑がいまもふもとのお寺に部分的に残っています。

 日本語にも「泰山鳴動してネズミ一匹」という諺がありますが、泰山は独立した山ではなく、山東省中部にある全長約200キロの山脈の名前で、主峰の玉皇頂は標高1545メートルですから、それほど高い山脈ではありません。しかし黄河下流大平原にあるその山脈は平原から切り立つようにそびえたち、周囲には高い山がないのでこの山脈が目立ち、それで漢文では「泰山」が大きな山のたとえとして頻繁に用いられます。

 今の山東省に生まれた孔子も泰山に登ったことがあるようで、孔子は泰山の山頂からふもとを眺め、世間とは案外小さなものだとの印象をもったそうです。

 孔子はもちろんふもとから歩いて泰山を登ったにちがいありませんが、世界遺産としてにぎわう今は、中腹から山頂近くまでロープウエイが通じています。しかし古代から神聖な山として信仰されましたから、山頂までの険しい道には歴代にわたって作られた驚くべき量の寺や石碑、あるいは祭祀の遺跡などがあって、ロープウエイでのぼればそれをほとんど見ることができません。



 歩けば山頂まで6千段以上の石段をのぼらなければなりません。ものすごい大きな荷物を肩にふりわけてかついだ強力さんがすいすいとのぼってゆくのを横目に見ながら、軽装の私たちが大汗をかいてのぼっていくと、中腹に「斗母宮」(とうもきゅう)という道教寺院があって、その東北約1キロの山中に、「経石峪」(きょうせきよく)があります。ここは古くは山の中に大きな川が流れていた渓谷で、その川底にある大きな自然石の表面に、『大方廣佛華厳経』というお経が刻まれています。かつて川が流れていたところで、修行僧が腰まで水につかりながら、水面下にある石にお経の文章を刻みつけた、いわば「川底の石碑」です。完成するまでにはおそらく厖大な年月がかかったことでしょう。その宗教的情熱にはまさに感動するほかありません

 いまは碑の保存のため水流が変えられているので、ここに水は流れておらず、石に刻まれた文字がはっきり見えますが、長い間ずっと川底にあったので風化が進み、1000字余りを残すのみとなっています。文字の大きさは約5センチ四方で、文字には朱が入れられています。製作者の名前は記録されていませんが、北朝の北斉時代(551-577)のものと推定されています。 さてここから漢字の話ですが、20年以上も前に私が現地で撮った写真(冒頭)では、右の行真ん中に「世」という文字の下をつないだ形の文字が見えます。もちろん「世」の古い異体字ですが、「世」という漢字はいちばんはじめは「卅」という形に書かれていました。



 中国最古の漢字字典で、字源解釈を示す権威ある古典『説文解字』に、「三十年を一世と為す」とあります。つまり「世」とはもともと「三十年」という時間の長さを表す文字であり、それは「十」を三つ横に並べた「卅」の下部を変化させたものだったのです。

 寿命が長くなった現在からは考えられませんが、もともと人間が大人になって自立し、やがて年をとって隠居するまで、さかんに活動できる時間はせいぜい三十年ほどとされていました。だから人が一人前になってから三十年ほどたてば、次の世代に地位を譲ったものでした。次代の者に地位を譲るまでの三十年という時間が「世代」、すなわち「ジェネレーション」ということで、「世子」(天子や諸侯の世継ぎ)とか「ナポレオン3世」という言い方では「世」をその意味で使っています。

 「世」が30という数を表すのに対して、20は「廿」と書きました。広島市の西に隣接し、日本三景の一つ「安芸の宮島(厳島)」がある廿日市市を「はつかいち」と読むのは「廿」を20という意味で使った例で、また江戸時代の人々が夢中になった代表的な娯楽である義太夫狂言の名作としてよく語られた『本朝廿四孝』というタイトルにある「廿四孝」は、「にじゅうしこう」と読みます。そしてこの二つの事例から、「廿」という漢字が「20」を意味していることがわかりますが、それはほかでもなく「十」を左右に二つ並べると「廿」の形になるからです。

 昔は文章を縦書きにするのが普通だったのに、「廿」の場合は「十」を二つ横書きに書いた形からできているのが、不思議といえば不思議ですね。でもそれはおそらく文章を横に書いた形からではなく、数の計算に使った道具「算木」(さんぎ)で「十」を表す縦の棒を横に二つ並べた形から作られたのだろうと思います。

 この算木をさらにもう一つ横に並べれば「卅」という形になり、それはもちろん「三十」という数を意味します。これがのちに「世」と書かれるようになりました。ちなみに日本ではほとんど使われませんが、「卅」という漢字は中国ではいまも使われていて、たとえば1925年5月30日に、植民地時代の上海で起こった愛国運動デモに対して警察が発砲し、学生・労働者に多数の死傷者が出た事件を、中国語ではその日付から、「五卅運動」と表記します。


《参考リンク》
漢字ペディアで「世」を調べよう。

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 

《記事写真・画像出典》
・記事上部画像:経石峪 著者撮影
・記事中画像:泰山山道の「強力」 著者撮影
      「世」字変遷 二玄社『大書源』

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