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あつじ所長の漢字漫談25 なんと傲慢な文章!

2018.03.13

あつじ所長の漢字漫談25 なんと傲慢な文章!

 昨年の暮れもかなり押しつまったころ、世間の多忙を尻目に、家内とともに沖縄旅行に行ってきました。飛行機とレンタカーを駆使した、あわただしい2泊3日の旅行でしたが、12月23日の天皇誕生日を含めた年末の閑散期だから、たぶんガラガラにすいているだろうと思ったのが大間違い。たしかに日本人の旅行者はそんなに多くいませんでしたが、中国と韓国からの観光客がたくさんきており、観光地や土産物店では中国語と韓国語がさかんに飛びかっておりました。考えて見れば、韓国や中国からは、沖縄は京都や東京よりはるかに近いところにありますから、その地域からの旅行者が多いのも当然なのかもしれません。

 かつて琉球国は中国(明から清)と日本(薩摩藩)の両方と外交関係をもっていましたが、その中心地で、琉球王が居住し、王国内最大規模の城であった首里城は、1945年におこなわれた米軍との激しい沖縄戦で全焼してしまい、戦後はわずかに城壁や建物の基礎などが残っていただけでした。アメリカ占領統治時代では、宮殿跡地が琉球大学のキャンパスとして使われていましたが、本土復帰のあと、琉球大学が那覇から北東にある西原町に移転したあと宮殿の復元事業が推進され、土地の歴史家や関係者の努力によって、1992年に正殿などが文献に基づいて復元されました。1993年から放送された陳舜臣氏原作の大河ドラマ『琉球の風』には、ここで撮影された映像もふんだんに使われています。首里城跡は2000年12月に世界遺産に登録され、いまでは沖縄のシンボルである守礼門の北に、壮大な規模でそびえ立つ宮殿が内外からの多数の見学者を集めています。



 私が沖縄本島を訪れたのはこれで4度目ですが(家内ははじめてでした)、以前に行ったときにはまだ首里城が復元されていませんでしたので、今回はじめて見学することができました。私はこれまで北京の故宮(紫禁城)をはじめとして、中国や韓国でいくつかの宮殿遺跡を見学したことがあります。まぁ世界屈指の宮殿である北京の故宮とは比べものになりませんが、それでも地方に残る小さな宮殿遺跡と比べれば、首里城はそれほど引けを取るものではないと感じました。

 那覇市全体を見下ろす小高い丘の上に立つ首里城は曲線状の城壁で囲まれ、内郭と外郭に大きく分けられます。正殿をはじめとする城内の各施設は随所に中国式建築の影響を受けており、正殿や南殿、北殿がその代表的な例とされています。

 首里城の正殿2階にある玉座の頭上に、大きな扁額が3枚掲げられて、そこに

 中山世土  中山=現在の那覇を中心にあった国名 は代々続く領土である
 輯瑞球陽  球陽=琉球の美称 の珍しい石(素材の印章)を集める
 永祚瀛壖  永く瀛壖(えいぜん)に祚(そ)たれ。祚は天子の地位、瀛は海

 と書かれていました。

 もちろん本来の額は戦争で焼けてしまっているので、文献の記述に基づいて復元したものですが、復元に際しては、清朝の極盛期を現出した康煕・雍正・乾隆帝の筆跡を研究し、その筆致を参照したとのことでした。

 なかなか見事な額だなぁと思いながら見ていて、3枚目にある「壖」という漢字がどういう意味かわからなかったので、近くにおられたボランティアガイドさんに聞いてみました。初老の男性ガイドさんが問いに答えて「いつまでもこの土地に王様として君臨せよ」という意味ですと教えてくださいましたが、なぜそういう意味になるのかと聞くと「それはわかりません」とのことでした。

 「壖」という漢字を見たのははじめてでしたが、大まかな意味はだいたい見当がつきました。というのは、この漢字は右側にある《需》という部分で発音を表しているにちがいなく、このように《需》で発音を表す漢字には他に「濡」や「蠕」、「孺」、「儒」などがありますが、それらの漢字には共通して「ヌルヌルした」とか「ジクジクした」という意味があると考えられます。「濡」とは水でぬれてヌルヌルすること、「蠕」はミミズなどがニュルニュルとうごめくこと(だから「蠕動運動」といいます)、「孺」は乳飲み子、つまりまだ骨格が固まっていないホニャホニャの子どものこと、そして「儒」とは孔子教団に対して「ささいなことにまでゴチャゴチャいう奴ら」という批判的な意味をこめてあたえられた悪口と考えられます。そう考えてくると、この「壖」という漢字も「ジクジク・ヌルヌルした土地」という意味ではないか、と私は考えました。



 そのまま沖縄各地を旅行して帰宅してから、気になっていた漢字を調べてみました。でも「壖」は、手許にある漢字の字典や、たいていの漢字を載せる『新字源』にも載っていない珍しい漢字でした。それで、俄然ファイトを出して調査に取り組み、中国から出ている大きな辞書を調べたら、「壖」とは「海や川べりにある空き地」のことだと書かれていました。まわりを水で囲まれている土地はジクジク・ヌルヌルしますので、私の想像はだいたいあたっていました。そしてこの漢字は、もちろんここでは四方を海に囲まれた沖縄のことを指しています。

 要するに、「永祚瀛壖」と書かれたこの額は、「永く瀛壖(えいぜん)に祚(そ)たれ」と訓読し、琉球王よ、お前は海に囲まれたこの小さく湿った空き地にいつまでも王でいなさい、という意味を表しているわけで、大きな大きな国の皇帝さまが、海の中にぽつんとあるちっぽけな島にある王国を見下した、思えばずいぶん失礼な「お墨付き」なのでした。中華思想といえばそれまでですが、それにしてもずいぶん傲慢な態度で書かれた文章です。

 首里城の宮殿の中には非常にたくさんの中国人観光客がいましたが、ほとんどの人はこの額に見向きもしませんでした。彼らは母国でいつもりっぱな宮殿にかけられる、見事な文字で書かれた額を見慣れているからかもしれません。あるいは「壖」という難しい漢字が使われていたことも、彼らが興味をもたなかった理由の一つかもしれません。でももしもガイドさんが中国語でこの額の意味を説明したとしても、書かれている内容について、彼らは先祖の傲慢さなどには気づかず、ほとんどの人がなんの違和感も持たなかったことでしょう。


《関連リンク》
漢字ペディアで「需」を調べよう
漢字ペディアで「儒」を調べよう
漢字ペディアで「濡」を調べよう

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 

《記事写真・画像出典》
・記事上部画像:首里城の玉座の題額  著者撮影
・記事中画像:守礼門  阿辻佳代子撮影
       「壖」の意味『漢語大字典』532頁 漢語大字典編輯委員会編

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