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四字熟語根掘り葉掘り94:「彫心鏤骨」を生んだ豪華なリレー

2021.08.09

四字熟語根掘り葉掘り94:「彫心鏤骨」を生んだ豪華なリレー

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 「彫心鏤骨(ちょうしんるこつ)」とは、〈非常に苦労をして詩や文章などを作り上げる〉ことのたとえ。中国の古典には見あたらず、日本で明治になってから生み出された四字熟語と思われます。

 とはいえ、元になった表現が中国にないわけではありません。それは、「銘肌鏤骨(めいきるこつ)」。6世紀の後半、顔之推(がんしすい)という貴族が書き記した『顔氏家訓』という書物で使われています。

 これを受けて現れるのが、「銘心鏤骨(めいしんるこつ)」。顔之推から200年余りが過ぎた9世紀の初めごろの文豪、柳宗元(りゅうそうげん)が用いた例があります。「彫心鏤骨」にだいぶ近づきましたよね。

 ただ、注意しないといけないのは、この2つは〈しっかりと記憶に留める〉という意味だということ。文字通りには、「銘肌」は〈肌に文字を刻み込む〉ことで、「銘心」は〈心に文字を刻み込む〉こと。また、「鏤骨」は〈骨に文字を彫り込む〉こと。いずれも〈忘れない〉ことのたとえで、詩や文章を作るわけではないのです。

 ところで、柳宗元と同じころに、李賀(りが)という若き天才詩人がいました。この若者、朝から晩までひっきりなしに詩を作り続けるので、母親があきれて、「この子は心を嘔(は)き尽くすまでは、詩を作るのをやめないのだろうよ」と言ったのだとか。ここから、〈苦労して文章を作る〉ことを「嘔心(おうしん)」と言うようになりました。

 この「嘔心」が、やがて「銘心鏤骨」に合流して、「嘔心鏤骨」という表現が生まれます。辞書によれば、その登場は18世紀のこと。時の大詩人、袁枚(えんばい)が著した漢詩評論の書、『随園詩話(ずいえんしわ)』で使われています。詩の書物のことですから、「嘔心鏤骨」が〈苦労して詩を作る〉という意味であることは、言うまでもありません。

 『随園詩話』は、日本にも輸入されてよく読まれました。19世紀の初めには、菊池五山(きくちござん)という漢詩人が、これをまねして『五山堂詩話』という書物を出版。その中で「嘔心鏤骨」を用いています。〈苦労して詩を作る〉ことを表す表現は、そうやって海を渡ったのです。

 「彫心鏤骨」が最初に使われたのは、私が知る限りでは、1905(明治39)年、上田敏(うえだびん)の有名な訳詩集、『海潮音』の序文でのこと。このことばが生まれるまでには、かくも長い旅路があったのです。それにしても、顔之推、柳宗元、李賀、袁枚、菊池五山、そして上田敏は、みんな文学史に名を残す超一流の人物。なんとも豪華なリレーではありませんか。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「彫心鏤骨」を調べよう
漢字ペディアで「銘肌鏤骨」を調べよう

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≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。最新刊『難読漢字の奥義書』(草思社)が発売中。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

≪記事画像≫

イラストACより、acworksさんのイラストを利用。

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