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やっぱり漢字が好き16 干支「辰」の字源について——併せて2023年「今年の漢字」の予想——

2023.12.01

やっぱり漢字が好き16 干支「辰」の字源について——併せて2023年「今年の漢字」の予想——

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
 少し早いが、来年の干支の話をしたい。「辰」の字源についてである。

 過去のコラム「『干支』ってなんだ!?(上)」と「『干支』ってなんだ!?(下)」で述べたように、干支は今から3000年以上前、殷代後期(紀元前13世紀~紀元前11世紀)の甲骨文の時代から、日にちを表示するために用いられていた。ただし十二支にそれぞれ特定の生き物を当てる習俗、すなわち、子=ねずみ、丑=うし、寅=とら……といった対応は、殷代からあったというわけではない。

 十二支に用いられている漢字は何に由来するのであろうか。言い換えれば、十二支で用いられている漢字の字源は何か。これについては良くわからないものもある。たとえば、「『干支』ってなんだ!?(下)」で紹介した「卯」の字源については、今なおはっきりしない。

 では、来年の干支である「辰」の字源はどうか。「辰」は殷代の甲骨文(紀元前13世紀~11世紀)では次のAやBのような字形で書かれる。

 「辰」字の形については、かつては貝類の象形という説もあったが(白川静『字通』)、現在の古文字学では、草を刈るための農具「耨(どう)」の象形に由来すると考える。「耨」は鋤のような農具で、その先端部分は図1のような形状であった。

耨の先端部分

 A、Bの「」「」が耨の刃の部分と見なされるが、確かに図1と酷似している(AとBは左右反転で書かれているが、甲骨文では同一字がしばしば左右反転する)。また残りの、「」「」は柄の部分の象形である。なお、言うまでもないことであるが、楷書の「耨」字の中に「辰」字が含まれている。

 甲骨文は「辰」字はさらに、次のC、Dの文字の中でも用いられている。

 いずれも字の中段部分に「辰」が見える。Cの「辰」の上にある「」は2本の木の象形で、Dの「辰」の上にある「」は土から生えた2本の草の象形である。また、CとDの「辰」の下の「」と「」はともに手の象形である。したがってCとDは、手で「辰」を持って草や木を刈る様を表す象形文字であり、現在の「農」字に該当すると考えられる。耕作し種付けをする前に草を刈る、或いは収穫の時に穂を刈り取るから「農」なのである。CとDの字形からも「辰」が農具であることが分かる。

 なお、十二支の5番目に当たる「辰」が表す概念と、農具の「辰」の間に何らかの意味的関係があるのかといえば、実際には何の意味的関係もない。十二支を漢字で表記し始めたとき、十二支の5番目の位置を占める単語の発音が、当時の口頭言語の中で、農具「辰」の発音と近かったため、「辰」という漢字を借りて、十二支の5番目を表す単語に当てたというだけである。いわゆる仮借(かしゃ)と呼ばれる文字運用現象である。

 最後に。いまこの原稿を書いているのは2023年11月8日であるが、12月12日に発表される2023年「今年の漢字」の予想で本稿を締めたい。

 予想は、「大」である。

次回、やっぱり漢字が好き第17回は2024年1月4日(木)に公開予定です。

≪参考資料≫

白川静『字通』、平凡社、1996年
葛亮『漢字再発現』、上海書画出版社、2022年
裘錫圭「甲骨文中所見的商代農業」、『裘錫圭学術文集 第1巻 甲骨文卷』、復旦大学出版社、2012年
朱鳳翰『古代中国青銅器』、南開大学出版社、1995年

≪おすすめ記事≫

やっぱり漢字が好き。5  「干支」ってなんだ!?(上)はこちら
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「今年の漢字」応募特設サイト はこちら

≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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