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やっぱり漢字が好き。6 「干支」ってなんだ!?(下)

2023.02.01

やっぱり漢字が好き。6 「干支」ってなんだ!?(下)

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 今号では、今年の干支である「卯」の字源について少し掘り下げてみたい。

 前号のコラム「やっぱり漢字が好き。5 干支ってなんだ!?(上)」でも述べたように、十干十二支(じっかんじゅうにし)は60を1周期とする循環数を構成するもので、「卯」はそのうち十二支の4番目の位置を占める。

 十二支の起源についての最も著名な論考である郭沫若の「釈支干」は、十二支がバビロニアの十二宮(いわゆる黄道十二星座)に倣ったものと見なしつつ、十二支を表す各文字の起源を、十二宮の星座の形に求める。例えば、郭氏は「卯」を獅子座に結び付けつつ、「卯」の字形は獅子の顔の象形に由来するものと考える。つまり、「卯」の原義と字形に密接な関わりがあると推定するわけである。ただし今ではこの学説に従う者は少ない。

 では現在、十二支の各文字の由来をどのように考えるのかというと、異なる意味を表していた漢字を、十二支を表すために転用した、と見なす向きが強い。これはいわゆる「仮借」と呼ばれる文字運用現象で、ある語を文字化するとき、その語と字音の近い文字を借りて当てるというものである。

 たとえば、{翌}は、「翌日」という単語で用いられていることからも分かるように、未来を示す語であり(以下、口頭言語による語を文字と区別するため、前者を{ }で示すことにする)、その概念は「時間」という具体的な形がないものである。そのため{翌}という語を文字化する際、物の造形や位置関係に根ざした「象形」や「指事」という造字法は採り難い。そこで殷代の甲骨文では、{翌}という語と発音の近い象形文字の「翼」を借りて、{翌}を表した(「やっぱり漢字が好き。1 「翌日」は次の日とは限らない?」を参照)。{翌}という語と「翼」という文字は本来、意味的つながりはなく、音声的接近があるのみである。つまり、「翼」という象形文字を表音的に転用したとも言える。

 「卯」について言えば、十二支の4番目の位置を占める単語が、当時の口頭言語の中で「ボウ」と発音されていたとして(無論これは古代の厳密な発音ではない)、それと発音が近い「卯(ボウ)」という漢字を借りて、これに当てたということである。この時、借りてきた文字(つまり「卯」)と、循環数を構成する十干十二支という概念との間に、意味上のつながりはないと考えられる。

 それでは、十二支の4番目を示す単語に「仮借」される前の「卯」という文字は、そもそも何を表す漢字であったのか。言い換えれば「卯」の本義は何であったのか。実のところ、「卯」に限らず、十二支に用いられている漢字が何に由来するのかについては謎が多い。次の図2は殷代から後漢の「卯」の字形一覧である。

図2 殷代から後漢の「卯」の字形一覧

※表中の1は殷代甲骨文の例、2は西周金文の例、3は春秋時代の例、4~8は戦国時代の例、9は秦の例、10は前漢の例、11~12は後漢の例である。

 「卯」について、最古の字書である、後漢の許慎による『説文解字』は以下のように説明している(日本語訳は三省堂の『全訳漢辞海』による)。

   冒(おか)す。二月を表し、万物が大地を冒して伸び出す。門を開ける形に象(かたど)る。
   したがって二月は天門ともいう。

 つまり『説文解字』は「卯」を「門を開ける形」の象形と説くのである。段玉裁の『説文解字注』も基本的にこの解釈を踏襲する(『説文解字』及び『説文解字注』の詳細については、「やっぱり漢字が好き。4 なぜ“4”は「四」と書くのか?(下)」を参照)。ただし、中国の古典籍の中で、「卯」を「門を開ける」という意味で用いている例はない。

 このほか、後漢の『釈名(しゃくみょう)』などをはじめとした多くの古典籍では、「卯」を、それと発音の近い「茂」や「冒」に引き付けつつ、「覆う」や「茂る」の意味、すなわち草木が成長して地面を蔽う状態を示していると説く。これはある単語(または文字)を、発音の接近した他の単語(または文字)によって説明する「声訓」と呼ばれる漢字の解釈方法である(誤解を恐れずに言えばダジャレのようなものである)。ただし、「声訓」は発音による解釈であるので、字源解釈とはまた別物である。

 以上は古典の中に見える「卯」の解釈であるが、現代の研究における「卯」の字解については、諸説極めて多い。兜を意味する「鍪(ボウ)」の象形であるとか(林義光『文源』)、2本の刀が並び立った形であるとか(呉其昌『殷虚書契解詁』)、銜(くつわ)を口外で両側から挟む環のある金具の象形であるとか(加藤常賢『漢字の起原』)、骨のついたままの肉を割く形であるとか(白川静『説文新義』)、何かしら具体的な物の象形と見る説がある。このほか、甲骨文で「卯」字が、生贄を殺すことを意味する{劉}を表す文字として用いられていることから、「卯」を生贄を引き裂く様の象形と見なす説や(明義士『柏根氏旧蔵甲骨文字考釈』)、甲骨文で「卯」字が穴を掘って生贄を埋めるという意味の{(ボウ)}を表す文字として用いられていることから、「卯」を穴ぐらの象形と見る説もある(厳一萍『甲骨文断代研究新例』)。

 以上、2回にわたって多くの紙幅を費やしたものの、「卯」字の由来については結局のところ、「よくわからない」と言うことしかできない。というわけで、十二支を表す文字が何に由来するのか、さらには十二支がどうして生き物と結びつくようになったのか明確な結論を下すことはできない。だが、「わからない」ことを改めて確認するのは、決して無駄なことではない。

 付記:本コラムの原稿提出直前に、「『卯』の字源と古文字学、そして『単語家族説』(『古代漢字学習ブログ @kanji_jigen』、https://kanji-jigen.hatenablog.com/entry/016、2022年12月31日)を目睹した。「卯」について本コラムより更に踏み込んだ議論を繰り広げているので、参考までにここにURLをあげておく。

≪参考資料≫

加藤常賢『漢字の起原』、二松学舎大学東洋学研究所別刊、1970年
白川静『説文新義 第7冊』、五典書院、1973年
戸川芳郎監修、佐藤進・濱口富士雄編『全訳漢辞海』(第4版)、三省堂、2016年
水上静夫『干支の漢字学』、大修館書店、1998年
郭沫若「釈支干」、『甲骨文字研究』、中華書局香港分局、1976年
李圃主編『古文字詁林 第10冊』、上海教育出版社、2004年
林志強『《文源》評注』、中国社会科学出版、2017年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「卯」を調べよう

≪おすすめ記事≫

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
二松学舎大学教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

≪記事画像≫

ほにょじま/PIXTA(ピクスタ)

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