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あつじ所長の漢字漫談34 「こざと」と「おおざと」はどこがちがうか?

2018.06.29

あつじ所長の漢字漫談34 「こざと」と「おおざと」はどこがちがうか?

 通勤電車に乗っていると、途中の駅から乗ってきた二人の女子高生が横に座り、大きな声でおしゃべりをはじめました。読書を中断されてしまったまま、聞くともなしに話を聞いていると、二人は家族の名前の話をしているようで、うちの一人がいいました。

 うちのママは「くにこ」っていうのよ、ううん、国家のクニじゃなくって、ほら、横線三本に縦線引いて、右側にコザトをつける漢字があるじゃない、そうそう、あの『くに』よ。

 この少女が言おうとしているのは、「邦」という漢字でしょう。「邦子さん」という名前を説明するなら、一昔前なら超売れっ子タレントだった山田邦子さんが引き合いに出されたかもしれません。私なら「れんぽう」か「ほうこく」という熟語を使います。でも彼女は山田邦子さんを知っている世代ではないようだし、「連邦」や「邦国」ということばもすぐには思いつかなかったのか、それで「横線三本に縦線引いて・・・」と説明したのでしょう。

 それにしても、「右側にコザトをつける」はいただけません。「邦」の右についているのはオオザトであって、コザトではありません。だから、よほど、「ねぇお嬢さん、それはコザトじゃなくオオザトというんだよ」と教えてあげようかと思ったのですが、下手にかかわって「なに、このへんなおじさん、もしかして新種の痴漢?」と思われるのもいやなので、そのときはそのままにしておきました。

 私たちがふだん使っているおなじみの漢字には、字形内部に《阝》という要素をもつものがたくさんありますが、《阝》は配置される場所によって呼び名が異なり、階・院・陛などのように、左側つまりヘンの位置に来るものを「こざと」といい、それに対して都・郵・部のように右側の位置にくるものを「おおざと」といいます。つまり配置される場所のちがいによって名称を呼びわけているわけですね。

 このコラムの読者はよくご存じでしょうが、漢字の部首は「偏旁冠脚」つまり配置される位置によって区別され、左側の位置にくるものを「ヘン」、右側に配置されるものを「ツクリ」と呼びます。だから左側に置かれるコザトは「コザトヘン」と呼ばれることがありますが、右側に置かれるオオザトはツクリの位置にあるので、それを「オオザトヘン」と呼ぶのはまちがいであるということになります。

 さてコザトとオオザトは、どちらも画数は3画で、見た目はまったく同じ形ですから、小・中学生の中にはそのふたつを同一視してしまう人も時々います。しかしコザトとオオザトはもともとちゃんとした使いわけがありました。『康煕字典』を代表とする中国の伝統的な漢字辞典はいうまでもなく、日本の漢和辞典でも、『大漢和辞典』(大修館書店)や『新字源』(角川書店)など、かつての漢字に関する伝統的な規範にのっとって編集された辞典では、コザトは八画の《阜》部に、オオザトは七画の《邑》部で検索するようになっています。

 それではコザトとオオザトはいったいどのようにちがうのでしょうか。

 中国最古の文字学書である『説文解字』は、日本で「コザト」と呼ばれている部首字「阜」の本来の意味について、「大陸なり、山の、石無きものなり」と解釈しています(段玉裁の解釈にしたがう)。ここに「大陸」とありますが、この場合は「大地」というほどの意味にすぎず、そして「山で、石がないところ」といっているのですから、『説文解字』は「阜」を小高い丘陵のような場所が本来の意味であると考えているようです。

 しかしこの『説文解字』の解釈は再検討する必要があります。というのは、現存最古の漢字である甲骨文字や金文(青銅器の銘文に使われている漢字。古いものでは甲骨文字と同じ時代のものもある)でコザトへんがついている漢字を見ると、コザトにあたる部分があきらかに「階段」の形をかたどった象形文字として描かれているからです。

 それがもっともわかりやすいのは「降」(「くだる」という意味)という漢字で、甲骨文字の「降」は2つの足跡が階段を上から下にさがっている形に描かれています。古代人の認識では天上世界と地上の人間社会のあいだには目に見えない階段がかかっていて、神さまはその階段を使って、天と地上を行き来していました。「降」に見える足跡は神さまが空から地上に降臨される時のもので、コザトのもっとも古い形は、その階段をかたどった象形文字だったのです。

 いっぽうオオザトの本来の形は「邑」で、それについて『説文解字』は「国なり」と記しています。「邑」は《□》と《巴》とを組みあわせた会意文字で、《□》は城壁で囲まれた集落を上から見た形、そしてそこから「人が暮らす場所」を意味します。また《巴》は人がひざまずいている形をかたどっていますので、「邑」は全体として「人が集落に暮らしていること」を表しています。だから「邑」はもともと「人間の居住地」、後のことばでいえば「くに」とか「むら」という意味を表し、これが「都」とか「邦」に含まれているのは、まさにその意味を使ってのことです。

 コザトとオオザトはもともとこのように別々の漢字だったので、それで名前がことなっているのですが、それではこれらをオオザトとかコザトと呼ぶのは、いったいなぜなのでしょうか。調べてみたところ、コザトとオオザトという名称は江戸時代の随筆からすでに使われていますが、しかしなぜそれをコザトとオオザトと呼ぶのかに関する研究は、これまでほとんど見あたりません。

  でも、だからといって、「命名の理由はわかりません」と引き下がるのもくやしいので、私は次のような考えを仮説として提示したいと思います。確固たる論拠を持っての考察でないことには気が引けますが、これまでだれも言及していない未解明のことなので、読者のご了解をいただければ幸いです。

 大げさに「仮説」ということばを使いましたが、私の考えは、「さと」という呼称を持つ部首をより細分化して区別するために「大」と「小」を加えたのではないか、というものです。

 「さと」ということばがつく部首には、コザトとオオザトのほかに《里》があって、それを「さとへん」と呼んでいます。「里」は土地の神さまをお祭りした社(やしろ)がある地域のことで、そこから「むら」のような比較的小さな場所や行政単位を表します。そしてこれを部首字とする《里》部は、手許にある漢和辞典『新字源』(改訂新版1402頁)では、部首字「里」の他に「重」「野」「量」それに「釐」の5字が収められているだけの非常に小さな部です。

 この「里」とコザトとオオザトの三種は、漢字を構成する要素として、いずれも土地や集落・都市に関する意味を表す部首として、漢字の意味を構成するために機能しています。

 3種はこのように同一の範疇に属する部首ですが、それをすべて単に「さと」と呼んでしまえば、相互の区別がつかなくなってしまいます。それでそれを区別するために、大・小の語を加えたのではないか、というのが私の仮説です。ちなみにコザトとオオザトでは、オオザトの方が表す範囲が大きく、オオザトがつく漢字には「都」や「郡」、「邦」、「郭(かこい)」など、いずれも比較的広い範囲の土地を表します。それに対してコザトがつく漢字にはそんな広大な地域をあらわす漢字がほとんどありません。もともとコザトは天と地をつなぐ階段を表しており、広大な場所や地域を表すための要素として機能することがないので、それは当然なのですが、ともあれこのように意味するところの大きさのちがいが、大小という比較をつけて名称に反映された、と私は考えたく思います。

《関連リンク》
漢字ペディアで「邦」を調べよう
漢字ペディアで「降」を調べよう
漢字ペディアで「都」を調べよう

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 

《記事写真・画像出典》
記事上部:富士山の遠望 著者撮影
記事中:「邦」『康煕字典 清内府刊本』
    「降・邑」甲骨文字 二玄社『大書源』
 

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