四字熟語根掘り葉掘り37:時は流れて「意気消沈」
著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
「意気消沈(いきしょうちん)」とは、「意気銷沈」「意気悄沈」と書いても同じで、〈すっかりやる気をなくす〉ことや〈ひどく落ち込む〉こと。現在の日本語でもとてもよく用いられていて、常識と言ってもいいような四字熟語でしょう。
このことば、四字熟語辞典の類ではあまり指摘されていませんが、実はきちんとした出典があります。それは、8〜9世紀の中国の詩人、白楽天が残した「曲江の秋に感ず」という作品です。
「曲江」とは、当時の中国の都、長安の郊外にあった、風光明媚な行楽地。数え年で51歳の秋、ここを訪れた白楽天は、37歳のときにも同じ場所にやってきて「曲江の秋に感ず」という詩を作ったことを思い出します。そして、人生の浮き沈みを身をもって体験したこの14年間に思いを馳せて、同じタイトルの詩を作ったのです。
その詩の末尾近くに、次のような一節があります。
銷沈す、昔の意気。
改換(かいかん)す、旧(ふる)き容質。
訳してみれば、〈あのころのような覇気は、すっかりなくなってしまった。若々しかった外見も、今では見る影もない〉といったところ。曲江の変わらぬ美しい風景を前に、詩人は自らの老いをひしひしと感じたのでしょう。
「意気消沈」は、ここから生まれた四字熟語。ただ、現在、私たちが用いている「意気消沈」と、白楽天の「銷沈す、昔の意気」とでは、微妙な違いがあることも事実です。
私たちが「あいつは上司に叱られて、すっかり意気消沈してしまった」のようにこのことばを用いるとき、ふつう、そこに想定されているのは、叱られた直後に落ち込んでいるというような、比較的短い時間の中で生じる〈気分の落ち込み〉です。しかし、白楽天がうたっているのは、14年という人生の長い時間の中で生じた、〈気力の衰え〉なのです。
それは、私たちがふだん、ありふれた表現として使っている「意気消沈」の、見知らぬ一面ではないでしょうか?
奇しくも私は、今、51歳。まだまだ元気でやっているつもりです。しかし、14年前といえば、毎日電車に揺られて、出版社へと通勤をしていたころ。それからさまざまな人生経験を経て、私もまた、気づけばあのころと比べてすっかり「意気消沈」してしまっているのではないでしょうか……
こういう発見をしたとき、私はつくづく、四字熟語とは侮れないものだ、と感じるのです。
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≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。
1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。
著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。
また、東京の学習院さくらアカデミー、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。
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≪記事画像≫
『晩笑堂画伝』より白楽天像