四字熟語根掘り葉掘り45:漢和辞典と「捲土重来」の謎

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
英和辞典が英語を日本語で説明する辞典であるのと同じように、漢和辞典は、もともとは漢語を日本語で説明する辞典です。この場合の「漢語」とは、中国の古典に出て来ることばのことです。
日本人は古くから、中国の古典に親しんできました。そこで、日本の古典に出て来ることばを対象とする古語辞典があるように、中国の古典に出て来ることばを対象とする辞書も必要で、それが漢和辞典だというわけです。
多くの漢和辞典は、この発想をベースに作られています。そのため、現代日本語を対象とする国語辞典とは、同じことばであってもその取り扱い方が違ってくることがあります。
たとえば、〈一度、失敗した者が、力を付けて再挑戦する〉ことを表す「捲土重来(けんどちょうらい、けんどじゅうらい)」という四字熟語があります。これを国語辞典で調べると、ふつう、今、私が書いたように、最初の漢字は「捲」になっています。
しかし、漢和辞典で調べると、多くの場合、「捲土重来」はいわゆる「空(から)見出し」になっていて、「巻土重来」を参照しなさい、と書いてあります。どうしてこのような違いが生じるのでしょうか?
国語辞典が「捲土重来」とする理由は、はっきりしています。それは、少なくとも明治以降の日本語の文章では、このことばは「捲」という漢字を使って書き表されることが、圧倒的に多いからです。
一方、漢和辞典が「巻」の方を正式な見出しにする理由も、はっきりしています。それは、この四字熟語の元になった、9世紀の中国の詩人、杜牧(とぼく)の詩の1節は、「巻土重来」となっているからです。後に「捲土重来」の形でも使われるようになり、そちらの方が日本語では一般化した、という経緯があるのです。
「捲土重来」と書いても「巻土重来」と書いても、意味は変わりません。ただ、現代日本語ではどう書かれているかを重んじる国語辞典では「捲」を使い、中国の古典では本来、どのように書かれていたかを重んじる漢和辞典では「巻」を用いることになるというわけです。
現在の日本語ではあまり用いられない形を正式な見出しにするなんて、漢和辞典はこだわりすぎでしょうか? 確かにその嫌いはありますね。でも、たいていの漢和辞典は「捲土重来」という空見出しを立てていますし、「巻土重来」という項目の中でも、「捲土重来」とも書く旨、注記があります。
一方、国語辞典はというと、「捲土重来」の項目の中で「巻土重来」という書き方について触れているものを、私は見たことがありません。長い間、漢和辞典の仕事に関わってきた私としては、ちょっとさみしい気がします。
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≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。 また、東京の学習院さくらアカデミー、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。 ただ今、最新刊『四字熟語ときあかし辞典』(研究社)に加え、編著の『小学館 故事成語を知る辞典』が好評発売中!
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