四字熟語

四字熟語根掘り葉掘り75:「威風堂々」は略奪愛の結果?

四字熟語根掘り葉掘り75:「威風堂々」は略奪愛の結果?

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 関羽(かんう)といえば、三国志の英雄。『三国志演義』の第1回、いわゆる「桃園の誓い」の場面では、身の丈は9尺といいますから2メートル以上もある、「相貌堂々(そうぼうどうどう)、威風凜々(いふうりんりん)」とした偉丈夫として登場します。

 「相貌堂々」は、〈外見がりっぱなようす〉。「威風凜々」とは、文字通りには〈見る者の気持ちを引き締めるような、重々しい雰囲気を漂わせているようす〉ですから、今風に言えば〈オーラが出ている〉という感じでしょう。ちなみに、「凜」の代わりに「凛」を書くこともあります。

 この二つの表現のうち、「相貌堂々」の方は、現在の日本語ではまず使われず、私の知る限りでは四字熟語辞典の類いにも収録されていません。一方、「威風凜々(威風凛々)」については載せている四字熟語辞典もありますので、現代日本語でも一応、現役の四字熟語だと考えてよいでしょう。とはいえ、似た表現としては「威風堂々(いふうどうどう)」の方がはるかによく使われることは、ご存じの通りです。

 ところが、その「威風堂々」は、中国の古い文章を探してみてもなかなか出て来ないのです。見つかるのは「威風凜々」ばかり。そして、『三国志演義』の関羽の描写と同じように、けっこうな割合で「相貌堂々」との組み合わせになっています。「威風堂々」は、おそらくはそこから生まれた、日本語オリジナルの四字熟語なのでしょう。

 ここで気になるのは、「堂々」と「威風」はどうして結び付いたのか、ということ。人間にたとえれば、それぞれの相方との関係を解消してまで一緒になったわけですから、穏やかではありません。

 「相貌」とは、目に見える姿かたち。「威風」とは、目ではしかとは見えない雰囲気。中国語での「堂々」は、姿かたちの描写として適切だったのでしょうが、日本語での「堂々」には、姿かたちより雰囲気の方がなじみやすい語感がある、ということなのでしょうか?

 逆に、「威風」の方を起点に考えてみると、日本人は「威」という漢字の中に「威厳」や「権威」のイメージを感じ取りやすいのかもしれません。そして、それが「堂々」という熟語で形容するにふさわしいと思われたのでしょうか?

 日本人が「相貌堂々」でも「威風凜々」でもなく、「威風堂々」を用いるようになった本当の理由は、私にはわかりません。ただ、漢字という共通の文字を使ってはいても、日本語と中国語とは別の言語だということが、こういう微妙なところにも現れているように思います。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「威風堂堂」を調べよう

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≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

≪記事画像≫

『絵本通俗三国志』より(国会図書館デジタルコレクション)

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