歴史・文化

漢字コラム5 春。花は咲き、山は笑う

漢字コラム5 春。花は咲き、山は笑う

著者:前田安正(元 朝日新聞校閲センター長)

 「山笑う」という季語があります。新緑の季節に春の花が咲いて、山全体が明るい色合いなった様子を捉えたものです。少しユーモラスなその季語は、故郷の景色を郷愁とともに思い起こさせます。正岡子規も「故郷やどちらを見ても山笑ふ」と詠っています。

 ところで、「笑」と「咲」が同じルーツの字だということをご存じですか?

 そうかなあ。同じルーツには見えないけどなあ。「笑」が竹冠で、「咲」が口偏だし…。あれっ? 「笑」は「わらう」っていう意味だから、植物とは関係ないのに竹冠だね。「咲」も花に関係する字なのに草冠とかじゃないんだ。

 そうですね。これには諸説あるのですが、その一つを紹介します。実はもともと「sakusakuji001.png(ショウ)」が「わらう」という意味を持った字だったのです。「sakusakuji001.png」は「八+天」でできています。「天」は「夭」が変化した形だと言われています。「夭」は「くねくねと細い」「しなやか」という意味があります。この「細い」が、ここでのポイントです。「八」は「両側に分かれる」という意味があります。

 つまり「sakusakuji001.png」は「口を細くすぼめて息が分かれ出るようす」のことで、「わらう」という意味になるのだ、と言うのです。これに「口」を付けて意味を明確にした字が「sakusakuji02.png」で、「咲」の旧字に当たります。

 えっ! ってことは、「咲」は「さく」ではなく、もともと「わらう」っていう意味だったの?

 そうです。「咲」には「わらう、えむ」という意味があるのです。古事記にも「八百万神(やおよろずのかみ)、共に咲(わら)ひき」と書かれています。俳優の武井咲さんの名前が「さき」ではなく「えみ」と読むのも「なるほど」と思えるのではないですか?

 「笑」も「わらう」という意味の「sakusakuji001.png」が変化したものです。「八」の部分が「艹」になり、さらに「竹」になったなどと言われています。

 でもどうして「咲」が「さく」という意味になったの?

 もともと「わらう」という意味の漢字だった「sakusakuji001.png」が「咲」と「笑」に分かれ、その両方が使われていました。ところが、いつしか「花がさく」ことを人のほほえみにたとえて「花咲(え)む」としゃれて表現されるようになりました。そして次第に「えむ」という意味を持つ「咲」が「さく」という意味に入れ替わって使われるようになり、定着していきます。そして今のように、「咲」が「さく」、「笑」が「わらう」という意味で使い分けられるようになったのです。

≪参考資料≫

「漢字の起源」(角川書店 加藤常賢著)
「漢字語源辞典」(學燈社 藤堂明保著)
「漢字語源語義辞典」(東京堂出版 加納喜光)
「甲骨文字小字典」(筑摩選書 落合淳思)
「学研 新漢和大字典」(学習研究社 普及版)
「全訳 漢辞海」(三省堂 第三版)
「古事記」(岩波文庫)
「日本国語大辞典」(小学館)、「字通」(平凡社 白川静著)は、ジャパンナレッジ(インターネット辞書・事典検索サイト)を通して参照

≪参考リンク≫

「漢字ペディア」で「咲」を調べよう!
「漢字ペディア」で「笑」を調べよう!

≪著者紹介≫

前田安正(まえだ・やすまさ)
元 朝日新聞校閲センター長
1955年福岡県生まれ。早稲田大学卒業。1982年朝日新聞社入社。名古屋編集センター長補佐、大阪校閲センター長、用語幹事、東京本社校閲センター長などを経て、2016年4月から朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長に就任予定。
朝日カルチャーセンター立川教室で文章講座「声に出して書くエッセイ」、企業の広報研修などに出講。
主な著書に『漢字んな話』『漢字んな話2』(以上、三省堂)、『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』『「なぜ」と「どうして」を押さえて しっかり!まとまった!文章を書く』『間違えやすい日本語』(以上、すばる舎)など。

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