歴史・文化

漢字コラム29「嵐」ひんやりした山の精気

漢字コラム29「嵐」ひんやりした山の精気

著者:前田安正(朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長)

 この季節になると、中国の唐代詩人・于武陵(うぶりょう)の読んだ「勧酒」を思い出します。

勸君金屈卮  君に勧む金屈卮(きんくつし)
滿酌不須辭  満酌辞するを須(もち)いず 
花發多風雨  花発(ひら)けば風雨多し
人生足別離   人生別離足る

 これを井伏鱒二は「厄除け詩集」の中でこう訳しました。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 漢詩の原文の「風雨多し」という部分を井伏は「嵐」と訳しました。ここに「嵐」という言葉の持つイメージの一端が見えます。いわゆる「あらし」「暴風雨」を指すほどの激しいイメージが見当たらないのです。「月に叢雲(むらくも)花に風」は好事には差しさわりが多いという意味のたとえです。井伏の訳にある「嵐」は、ここでいう「花が咲く頃に吹く春風」というほどの意味にとれます。

 「嵐」は文字通り「山から吹く激しい風」のことで、ここからいわゆる「あらし」「暴風雨」という意味を持つようになりました。これは日本で独自の用法ですが、中国・梁の時代の辞書には「嵐は大風なり」と載っており、中国でも古くは似たような使い方があったのかもしれません。

 中国の字書「説文解字」には「葻(ラン)」という字に「草、風を得る貌(すがた)。読んで婪(ラン)のごとし」という説明があります。「葻」は「風が草木をなびかせる」様子で、後に「嵐」の形になったと言います。また、「霖」(リン、長雨)や婪(ラン、むさぼる=ひっきりなしに求める)と同源で、「ひっきりなしに続くという」イメージを持つと言う説があります。

 「嵐」は「山に立ちこめるもや」「山気」の意味もあります。山のひんやりした空気や精気のことです。紫色にはえる山の空気を紫蘭、山の青々とした気、みどりに包まれた山の雰囲気を翠嵐と言います。「春嵐」「夏嵐」「秋嵐」「冬嵐」など春夏秋冬、季節ごとに嵐のつく言葉があります。

 井伏鱒二が訳した「勧酒」に対して、寺山修司は「幸福が遠すぎたら」という詩にこう刻みました。

さよならだけが
人生ならば 
 また来る春は何だろう
 はるかなはるかな地の果てに
 咲いてる野の百合何だろう

さよならだけが
人生ならば
 めぐりあう日は何だろう
 やさしいやさしい夕焼と
 ふたりの愛は何だろう

さよならだけが
人生ならば
 建てたわが家は何だろう
 さみしいさみしい平原に
 ともす灯りは何だろう

さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません。


※井伏鱒二(1898-1993)小説家。代表作に『山椒魚』『黒い雨』など。
※寺山修司(1935-1983)歌人・劇作家。代表作に『われに五月を』など。

≪参考資料≫

「漢字の起原」(角川書店 加藤常賢著)
「漢字語源辞典」(學燈社 藤堂明保著)
「漢字語源語義辞典」(東京堂出版 加納喜光)
「言海」(ちくま学芸文庫 大槻文彦)
「学研 新漢和大字典」(学習研究社 普及版)
「全訳 漢辞海」(三省堂 第三版)
「日本国語大辞典」(小学館)、「字通」(平凡社 白川静著)は、ジャパンナレッジ(インターネット辞書・事典検索サイト)を通して参照

≪参考リンク≫

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≪著者紹介≫

前田安正(まえだ・やすまさ)
朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長
1955年福岡県生まれ。早稲田大学卒業。1982年朝日新聞社入社。名古屋編集センター長補佐、大阪校閲センター長、用語幹事、東京本社校閲センター長などを経て、現職。
朝日カルチャーセンター立川教室で文章講座「声に出して書くエッセイ」、企業の広報研修などに出講。
主な著書に『漢字んな話』『漢字んな話2』(以上、三省堂)、『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』『「なぜ」と「どうして」を押さえて しっかり!まとまった!文章を書く』『間違えやすい日本語』(以上、すばる舎)。

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