歴史・文化

漢字コラム30「卒」10人ひとかたまりの下級兵士

漢字コラム30「卒」10人ひとかたまりの下級兵士

著者:前田安正(朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長)

 3月は卒業のシーズンです。冬から春の変わり目は、これまでの重いコートを脱ぎ捨て、新しい一歩を踏み出す希望と不安に満ちた季節でもあります。今回は「卒」について考えていきます。

 「卒」には「下僕」「歩兵」「下級役人」などの意味があります。もとは法被(はっぴ)のような衣をきて10人を一隊として引率される雑兵(ぞうひょう)を指したもののようです。中国の字書「説文解字」には「卒」は「奴僕(どぼく)で使い走りするものの衣服」とあります。最下級の軍人を「兵卒」というのは、ここに由来しています。「卒」は歩兵、「士」は戦車に乗って甲冑を着けた戦士を言うのです。以上の説を踏まえると「衣+十」でできている「卒」の異体字「䘚」が、この意味には近い字の形と言えます。

 「衣」に引きつけて考えると、兵卒の「卒」と卒業の「卒」との結びつきが見いだしにくくなります。しかし、「下僕」や「下級」を「小者」と見ていたので、「卒」には「小さい」という意味が含まれるという見方があります。これによると「小さい」という概念は、「小さくまとめて引き締める」からさらに「最後に締めくくる」へと変化し、「終わる」という意味を派生させました。「卒業」という言葉は、この流れをくんだものだと言えます。

 「卒」は「衣の襟(えり)をかさねて、結びとめた形」のことだ、という説もあります。この場合の衣は、死者のにまとわせる衣のことです。死没するとき、死者の衣の襟もとを重ね合わせて結び、死者の霊が迷い出るのを防ぐのだそうです。ここでの「終わり」は「死」を意味しています。「死」の忌み言葉として「卒」を使っていた例もあります。中国周の時代、古公は城郭や家屋を初めて築き、邑を区画し五官有司を設けて人民を治めたため、有徳の王とたたえられました。古公には4人の子供がいたのですが、末子の季歴が跡を継ぎました。その顛末が司馬遷の「史記 周本紀」のなかにあり、「古公卒して季歴立つ」と記されています。古公が亡くなって季歴が王位に就いたという意味です。

 卒寿は、数え90歳を言います。これは「卒」の異体字「卆」が「九十」に見えることに由来しています。若かりしときには「卒寿」の「卒」は「人生の卒業」を意味するのだろうと、勝手に思い込んでいました。しかし、長寿社会になって90歳という年齢もそう珍しくはなくなりました。元気な大先輩を見ていると、これからまたもう一段上のステージが待ち受けているようにも思え、勇気をもらえます。「卒業」は単なる区切りに過ぎないのだと。

≪参考資料≫

「漢字の起原」(角川書店 加藤常賢著)
「漢字語源辞典」(學燈社 藤堂明保著)
「漢字語源語義辞典」(東京堂出版 加納喜光)
「言海」(ちくま学芸文庫 大槻文彦)
「学研 新漢和大字典」(学習研究社 普及版)
「全訳 漢辞海」(三省堂 第三版)
「日本国語大辞典」(小学館)、「字通」(平凡社 白川静著)は、ジャパンナレッジ(インターネット辞書・事典検索サイト)を通して参照

≪参考リンク≫

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≪著者紹介≫

前田安正(まえだ・やすまさ)
朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長
1955年福岡県生まれ。早稲田大学卒業。1982年朝日新聞社入社。名古屋編集センター長補佐、大阪校閲センター長、用語幹事、東京本社校閲センター長などを経て、現職。
朝日カルチャーセンター立川教室で文章講座「声に出して書くエッセイ」、企業の広報研修などに出講。
主な著書に『漢字んな話』『漢字んな話2』(以上、三省堂)、『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』『「なぜ」と「どうして」を押さえて しっかり!まとまった!文章を書く』『間違えやすい日本語』(以上、すばる舎)。

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