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あつじ所長の漢字漫談6 世界平和を実現する「武」

2017.08.30

あつじ所長の漢字漫談6 世界平和を実現する「武」

 きな臭い事件が次々に起きています。海を隔てた隣の国では、核兵器のみならずアメリカまで届くミサイルが開発されて、大騒ぎになっています。他の地域でも血で血を洗う戦闘が繰りかえされ、戦乱を避けた難民が他国に押し寄せ、ヨーロッパでは大都会の真ん中で、耳を疑うようなテロが繰りかえされています。

 いまも世界のどこかで激しい戦闘がおこなわれているのかと思うと、実にやるせない気持ちになってしまいます。紛争の解決は話しあいに寄るべきであり、武力行使などないにこしたことはありません。しかし洋の東西を問わず、人類の歴史は同時に戦争の歴史であったことも悲しい事実です。私たちは歴史の授業で、いったいどれくらいの数の戦争の年代を覚えたことでしょう。現実の歴史においてはほとんどの場合、「売られたケンカは買わねばなら」なかったのです。

 戦争に関しては、「武力」とか「武闘」「武装」というように、「武」という漢字がよく使われます。「武」はこのように戦いに向かう勇ましさを意味する漢字ですが、しかしそれとはまったく正反対の、平和を願う気持ちを意味する文字だった、という話が古代中国の書物に記されています。

 話は戦国時代における種々のエピソードを記す儒学の経典『春秋左氏伝』に見え、古くから権威のある説として語られました。

 群雄割拠の戦国時代では大小さまざまな国が攻防を繰りかえしていましたが、南の長江流域では新興国家の楚が軍事大国化し、黄河流域の超大国だった晋と戦うことになりました。

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図版A

 戦いでは楚が緒戦でひとまず勝利を収めたので、家臣の一人が王に対して、「今回はわが軍の大勝利でしたので、晋への見せしめのために死体を集めて大きなやぐらを築きましょう」と提案しました。ところが楚王はその家来に対して、「そんなことをするものではない。汝にはわかるまいが、そもそも『武』という文字は『戈を止める』と書くではないか」と述べて、その提案を却下しました。(図版Aの3行目「爾(なんじ)の知るところにあらざるなり。それ文において戈を止めると武となす」とあるのがその部分)。ここでいう「戈」は武器のことで、楚王は武器の使用をやめることが真の「武」(勇気)であるということを、「武」という漢字の成り立ちにもとづいて説き、それで過激な家臣をいましめたというわけです。

 ここに見える「戈」(ほこ)とは、長い柄の先にL字型の刃をつけ、敵を打ったり刺したりする、古代中国の代表的な武器ですが、いまの日本語や中国語で使う楷書や、その元になった隷書では「武」を分解しても《戈》と《止》にはなりません。しかし隷書よりももっと古い時代の書体では、「武」は《戈》と《止》からできています(ここでは甲骨文字の例を出しておきました)。
229wu.png
図版B

 「武」という漢字をこう解釈すれば、それは世界平和をもたらす、まことに好ましい説になります。しかし残念ながら、漢字研究の立場からはその解釈は誤りといわざるを得ません。というのは「武」を《戈》と《止》に分けるまではいいのですが、《止》の部分の解釈が正しくないからです。

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図版C

 私たちは《止》を「とめる・ストップする」という意味で使います。それは現在の中国でも、さらにこの物語が作られた戦国時代の中国でも同じでした。しかし《止》はもともと人の足跡をかたどった象形文字で、本来は意外なことに「人が歩いて前に進む」という意味を表す漢字だったのです(ついでにいうと、だから「歩」の上に《止》があるのです)。

 《戈》と《止》の組みあわせからなる「武」は、「兵士が武器を持って進軍すること」が本来の意味でした。しかし物語に出てくる楚王はそんな解釈を知らず、「武」を《戈》と《止》に分解し、《止》というパーツを「とめる」と理解して家臣の提案を却下しました。その解釈は漢字研究の面からは誤りです。しかしこの際、漢字の研究成果など度外視してでも、「武」の意味を「平和実現を目指すための武力停止」と理解したいものです。

 人類の輝かしい未来をもたらす平和を実現するためには、楚の王さまが「武」という漢字に対してあたえた解釈はまったく正しい、と私は考えます。

《参考リンク》
漢字ペディアで「武」を調べよう

《著者紹介》
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阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。

《掲載資料出典》
図版A『春秋経伝集解』汲古閣刊本
図版B、C『甲骨文字典』北京工芸美術出版社、2010年



《記事上部写真》
 記事上部:japanfilm / PIXTA(ピクスタ)

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