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あつじ所長の漢字漫談9 ハオチーの巻

2017.09.22

あつじ所長の漢字漫談9 ハオチーの巻

 近ごろの新聞は、ちょっと広告が多すぎませんか。日によっては新聞全体の4分の1くらいを全面広告のページで占められていることもあって、なんだか広告を読むために購読料をはらっているのではないかという気までしてきます。

 そんな広告の中でもダントツに多いのが国内海外のパック旅行で、詳しく見てみると、中には驚くほど安いツアーもあります。知人の一人が、そんな格安ツアーで台湾に行ってきたといって、お土産にお茶をもってきてくれました。聞けば、値段が安いからといってホテルや行動に格別の不都合があるわけでもなく、まことに快適な旅行だったから、次は年末に韓国に行くつもりだと、帰国早々気炎をあげています。

 台湾に行ったのは母親からのすすめだそうで、中華料理が大好きな母親は、台湾や香港にひんぱんに出かけては、街角でB級グルメを堪能しているそうです。そんな話を聞きながら、彼女がもってきた雑誌をパラパラながめていて、台湾のガイドブックもずいぶんさまがわりしたものだと思いました。以前は台湾の歴史や少数民族の生活風景、あるいは故宮博物院の名品紹介など、文化面にもある程度のページが割かれていたものですが、近ごろはあきれるほど享楽的で、その雑誌には食べ歩きとエステ、それにショッピングに関する情報しか載っていませんでした。きっと年代を問わず、ものすごい数の日本人女性がおしかけるようになったことの反映なのでしょう。

 ところで、ガイドブックにこれでもかというほど紹介される食べ歩きや夜店関係の記事に、しばしば「小吃」という文字が出てきます。「小吃」とは正式な食事に対してちょっとした軽食、スナックを意味する中国語で、シュウマイや包子(中華まん)、春巻のたぐいがそれにあたりますが、実際の「小吃」には驚くほどたくさんの種類があります。

 ここにある「吃」という漢字は、中国語を学ぶ人が初級のごく最初の段階で目にする、「食べる」という意味の動詞です。「えっ?食べるって『食』じゃないの?」と不思議に思われるかもしれませんが、今の中国語では「食」を動詞に使うことはなく、食べるという意味にはこの「吃」を使います。でも、だからといって「吃」は革命後に作られた新しい簡体字ではなく、実は非常に古い時代からある漢字です。

 「吃」も最初から「食べる」という意味を表したのではなく、本来は「ことばの発音がしにくい」という意味で、だからこそ「吃音」ということばに使われています。しかしその字は「喫」と同じ発音なので(日本語でも「喫」と「吃」はどちらもキツという音読みになりますね)、民間では比較的早い時期から「喫」の当て字として使われました。

 「喫」は「喫茶」や「喫煙」というように、中国でも日本でも最初は「飲む」という意味の漢字でした。日本ではいまでも「喫」をその意味で使いますが、しかし中国では時代とともに政治と文化の中心地がかわり、それにつれてことばにも変化が起こりました。かつて「食」という漢字で表された動作を、今の中国では「喫」という漢字で表現します。でも「喫」は画数の多い漢字なので、書くのがめんどうです。それで民間では「喫」のかわりに、同じ発音でもっと簡単に書ける「吃」を使うことが多く、それで文字改革の段階で「吃」が「喫」の正規の簡体字とされました。



 「食事をする」ことを中国語では「吃飯」といい、食べるものが「おいしい」ことを「好吃」といいます。そし台湾や香港などのB級グルメガイドブックに頻出する「小吃」は、中国国内だけでなく、今では日本でも使われているようになり、「飲茶」と呼ばれる香港式の軽食を提供するレストランとか、あるいはごくふつうの中華料理店などでも、店名に「小吃」という名称を使うところがあります(写真は2017年8月に富山市にて筆者が撮影)。「小吃」は中国語での単語が簡体字を使った形でいつの間にか日本で使われるようになった、非常に珍しいケースであるといえますが、さてそれでは、この「小吃」は日本語でいったいなんと読まれているのでしょうか。

 「吃」の音読みはキツですが、「小吃」を「ショウキツ」と読んでも、よほどの中国料理ファン以外にはまず通じません。といって、それを中国語の原音に基づいて「シャオチー」と読んだところで、中国語の学習経験がある人くらいにしかわからないでしょう。

 「小吃」ということばを日常的に使うのは、中華料理屋さんをのぞけば、グルメ雑誌の編集者と読者くらいでしょうが、その人たちは「小吃」をいったいどのように読んでいるのか、私には非常に興味があるところです。

《参考リンク》
・漢字ペディアで「吃」を調べよう

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。

《記事写真》
すべて著者が撮影したもの。

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