日常に“学び”をプラス 漢字カフェ

  • コラム
  • 歴史・文化

あつじ所長の漢字漫談18 「婦」はお妃さまのこと

2017.12.08

あつじ所長の漢字漫談18 「婦」はお妃さまのこと

 中国に「婦女能頂半辺天」(女性が天の半分を支える)という成語があるように、世界中どこの地域でも、そしていつの時代でも、人口のだいたい半分は女性ですから、これまでの文化も半分は女性が作ってきたといっても過言ではないでしょう。

 女性のことを漢字では主に「女」と「婦」を使って表現しますが、「女」がごく普通に使われる文字であるのに対して、「婦」の方はしばしば激しい非難の対象となります。というのは、「婦」の右側にある《帚》は竹カンムリをつけると「箒」になることからもわかるように、もともとホウキをかたどった文字だったというのがその理由です。つまり《女》と《帚》の組み合わせでできた「婦」はホウキを手にもった女性ということになり、それでこの字は女性解放論者から目の仇にされ、オンナとホウキからできている「婦」が女性を意味するのは、女性を家事労働にしばりつけようとする封建的な思想の現われにほかならず、このような作り方をしている漢字は、男女平等の時代にまことに許しがたい文字である!!というわけです。

 古代中国は完全な男尊女卑の社会でした。「女」は人が手を前に組みあわせ、床にひざまずいている形の象形文字であって、この字は女性が男性より一段も二段も低い地位に置かれていたことを示しています。他にも「奸」や「姦」などのように、明らかに女性蔑視的な考えを背景に持っている漢字もたしかにたくさんあります。しかしこの「婦」もまた男尊女卑の思想が現われた例の一つだと考えるならば、それは古代中国の実情と当時の文化をふまえていない、いささか浅薄な議論というべきでしょう。

 というのは、いまから三千年ほど前に使われていた甲骨文字や殷周時代の青銅器の銘文では、「婦」は一般の女性を意味する文字ではなく、王様のお妃、つまり女王という特定の身分を示す漢字だったからです。

 甲骨文字の故郷として知られる「殷墟」(殷の都跡と伝えられる遺跡、河南省安陽市郊外にある)で、1976年に小さなお墓が発掘されました。「殷墟5号墓」と呼ばれるこの墓は、中国では非常に珍しいことに、これまでまったく盗掘されていない完璧な形で発見され(それは奇跡的なことです)、そこから発見された計200点余りの青銅器のうち109点に「婦好」という銘が記されていたことから、お墓に埋葬されていたのは実際の甲骨文字にも名前が見える「婦好」という女性だと断定されました。



 婦好は殷代の代表的な王様であった武丁の皇后で、軍隊を率いて隣の国まで戦争に出征したなど、彼女の実際の行動が甲骨文字の記述からかなり具体的にわかります。

そんな彼女の墓から、たくさんの青銅器の外に、高さが30センチもある大きな象牙のグラスにトルコ石をちりばめた豪華な杯や見事な玉を加工した道具、それに「子安貝」という南海に産する貴重な貝(この時代は貝が財産のシンボルでした)など、2000点近くもの大量の副葬品が発見されました。それらはいずれも非常に高度な技術を駆使して作られた、第一級の芸術性を備えたものばかりで、この副葬品の質と量からも、当時の王妃がもっていた強大な権威を見ることができます。

 このような地位と身分にある女性を意味する「婦」が、日常的な家事労働である掃除を担当するというおばさんという意味で作られるはずがありません。

 「婦」という字の解釈のポイントは、字の右側にあるホウキの部分をどのように考えるかにあります。この場合のホウキとは、家の内外の掃除に使う道具ではなく、実はお祭りをするための神聖な祭壇を掃除するものでした。 政治を「まつりごと」というように、古代国家では政治と宗教は切っても切れない関係にありました。お祭りは国家にとってもっとも重要な行事であり、これをおこなう場所はなによりも神聖なところですから、いつもきれいに保っていなければなりませんでした。



 お祭りの場には、空から降りてこられた神様が着席される場所があり、その神様にお供え物を置くための祭壇があります。ここは絶対に汚れてはならないところなので、お祭りをおこなう時には、まず事前にそこをていねいに清める必要がありました。そしてこの祭壇のちりを払うのに使ったのが、「婦」が手に持っているホウキなのです。だからこれはきわめて神聖な道具であり、それを構成要素とする「婦」は、神聖な職務を担当する非常に地位の高い女性だったのです。



 「婦」の中に含まれているホウキは、実は「寝」にも含まれています。今の字形からはまったくわからなくなっていますが、「寝」はもっとも古い字形では《宀》すなわち屋根の下に《帚》をおいた形に書かれています(図版参照)。「寝」はもともとお祭りをおこなう場所の呼び名で、そこは空を漂う神が地上に降りてきて滞在される空間でした。だからそこは住居内でのもっとも神聖な場所であり、そこを清める時にもやはりホウキが使われましたが、その神聖な場所の清浄化を担当するのも、やはり「婦」というハイクラスの女性でした。屋根の下にホウキを置いた形の文字に《牀》を加え、少し字形が変化させたのが、後の「寝」という字です。《牀》とはベッドのことですから、やがてこの字が「睡眠をとる」という意味になったのですが、しかし「寝」の中に設けられたベッドで「寝る」のは、実は人間ではなく神様だったのです。

《参考リンク》
漢字ペディアで「婦」を調べよう。
漢字ペディアで「帚」を調べよう。
漢字ペディアで「寝」を調べよう。

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『新字源 改訂新版』のホームページはこちら

《記事写真・画像出典》
・記事上部画像:婦好墓と婦好の像 著者撮影
・記事中画像:
 婦好の文字が見える甲骨 阿辻哲次『図説漢字の歴史』(大修館書店)
 ホウキを手に持つ女性 『漢字演変500例』北京教育出版社
 「寝」の甲骨文字 『大書源』二玄社

続きを見る

  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • LINE
  • google+

コラム

  • 新聞漢字あれこれ94 「興・輿・與」 似た字で混乱?

    新聞漢字あれこれ94 「興・輿・與」 似た字で混乱?

     字形が似ていて混同される「興・輿・與」の3字。固…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ93 「総菜」「惣菜」 どちら派ですか?

    新聞漢字あれこれ93 「総菜」「惣菜」 どちら派ですか?

     スーパーマーケットやコンビニエンスストアでおなじ…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ92 「生」と「産」 愛子さまの記者会見から

    新聞漢字あれこれ92 「生」と「産」 愛子さまの記者会見か…

     3月17日に行われた愛子さまの記者会見。翌日の朝…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ91 幽霊漢字があやうく紙面に

    新聞漢字あれこれ91 幽霊漢字があやうく紙面に

     3月のある日。日本経済新聞朝刊に載る企業人事の記…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ90 魚偏の「超1級漢字」から

    新聞漢字あれこれ90 魚偏の「超1級漢字」から

     1月24日に漢字カフェで公開された「クイズ番組で…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ89 高知県の方言漢字

    新聞漢字あれこれ89 高知県の方言漢字

     毎年決まった時期、新聞に登場する漢字が「埇」。高…

    記事を読む

コラム記事一覧へ

歴史・文化

  • 漢字コラム49「筆」 聿、不律、弗…お国が違えば字も違う

    漢字コラム49「筆」 聿、不律、弗…お国が違えば字も違う

      まゝごとの飯もおさいも土筆かな  高浜虚子の次…

    記事を読む

  • 漢字コラム48「創」 「傷をつける」は「創造」の始まり?

    漢字コラム48「創」 「傷をつける」は「創造」の始まり?

     「新しいものを独自の考えや技術を使って初めてつく…

    記事を読む

  • 常用漢字表改定から10年、追加字はどう浸透した?~令和元年度「国語に関する世論調査」結果より~

    常用漢字表改定から10年、追加字はどう浸透した?~令和元年…

     こんにちは、漢字カフェ担当のキンスケです。  …

    記事を読む

  • 円満字さんによるオンライン連続講座が開講!

    円満字さんによるオンライン連続講座が開講!

     こんにちは、漢字カフェ担当のキンスケです。 漢字…

    記事を読む

  • 漢字コラム47「蟬」両羽で鳴くもの?

    漢字コラム47「蟬」両羽で鳴くもの?

     架空の海坂藩が舞台の時代小説『蟬しぐれ』。藤沢周…

    記事を読む

  • 漢字コラム46「侯」儀礼の裏側に潜む権力社会

    漢字コラム46「侯」儀礼の裏側に潜む権力社会

     今回は「侯」について。前回「候」で解説した中に出…

    記事を読む

歴史・文化記事一覧へ

PR記事
  • 2021年「今年の漢字」12月6日まで募集中!今年の世相、どんなかんじ?

    2021年「今年の漢字」12月6日まで募集中!今年…

    記事を読む

  • 2020年「今年の漢字」こぼれ話(後編)似ている漢字に要注意!

    2020年「今年の漢字」こぼれ話(後編)似ている漢…

    記事を読む

  • 2020年「今年の漢字」こぼれ話(前編)2020年は「初」だらけ!

    2020年「今年の漢字」こぼれ話(前編)2020年…

    記事を読む

  • 2020年「今年の漢字」募集開始!団体データ応募も

    2020年「今年の漢字」募集開始!団体データ応募も

    記事を読む

  • 「令和」だけじゃない! 2019年「今年の漢字」の「令」は、○○の「令」

    「令和」だけじゃない! 2019年「今年の漢字」の…

    記事を読む

最新記事
  • 新聞漢字あれこれ94 「興・輿・與」 似た字で混乱?

    新聞漢字あれこれ94 「興・輿・與」 似た字で混乱?

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ93 「総菜」「惣菜」 どちら派ですか?

    新聞漢字あれこれ93 「総菜」「惣菜」 どちら派ですか?

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ92 「生」と「産」 愛子さまの記者会見から

    新聞漢字あれこれ92 「生」と「産」 愛子さまの記者会見か…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ91 幽霊漢字があやうく紙面に

    新聞漢字あれこれ91 幽霊漢字があやうく紙面に

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ90 魚偏の「超1級漢字」から

    新聞漢字あれこれ90 魚偏の「超1級漢字」から

    記事を読む

  • 「完壁?完璧?」正しく覚えて得点アップ!その4~漢検・採点現場より⑥~

    「完壁?完璧?」正しく覚えて得点アップ!その4~漢検・採点…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ89 高知県の方言漢字

    新聞漢字あれこれ89 高知県の方言漢字

    記事を読む

  • クイズ番組で話題の難読漢字にチャレンジ!その5

    クイズ番組で話題の難読漢字にチャレンジ!その5

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ88 深堀りのニュースって何?

    新聞漢字あれこれ88 深堀りのニュースって何?

    記事を読む

  •  第9回「今、あなたに贈りたい漢字コンテスト」受賞作品発表!

    第9回「今、あなたに贈りたい漢字コンテスト」受賞作品発表…

    記事を読む

記事カテゴリ
  • 公益財団法人 日本漢字能力検定協会
  • 漢字を調べるなら漢字ぺディア
  • 日本漢字学会(JSCCC)
  • メールマガジンのご登録

ページトップへ

Copyright(c) 公益財団法人 日本漢字能力検定協会 All Rights Reserved.