あつじ所長の漢字漫談33 イワシを表す漢字―伊委之と鰯と沙丁魚の関係

著者:阿辻哲次(京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長)
漢字ミュージアムは平成30年6月末で開館2周年を迎えますが、それにさきだって、5月なかばには20万人目のお客さまをお迎えすることができました。これもひとえに皆様方からの暖かいご指導とご支援のたまものと、スタッフ一同心よりお礼を申しあげますとともに、これからもよりたくさんの方にご来館いただけるよう、一層の精進につとめますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
すでにご来館くださった方はご存じのように、漢字ミュージアムは1階がおもに中国と日本の漢字の歴史に関する展示、2階は漢字の成り立ちや部首、四字熟語、あるいは漢字で書かれるさまざまなことばや地名などに関する各種の展示を中心として構成されています。2階にはさらにパネルのほかに、(公財)東洋文庫からお借りした貴重な甲骨の実物が展示されており、また年配の方から小学生まで楽しんでいただけるゲームもいくつか用意されていて、なかでも楽しみながら魚に関する漢字の知識が学べる「漢字回転すし」のコーナーは、いつも多くの人でにぎわっています。
この回転すしコーナーの前に、お寿司屋さんでおなじみの魚ヘンの漢字がたくさん書かれた特大の「湯飲み」があります。これは来館記念の写真撮影にお使いいただけるように設置されているもので、いま流行りの「インスタ映え」に使える小道具としてでしょうか、湯飲みの上に立って記念写真を撮っておられる方もたくさんおられます。
ところでこの「湯飲み」には写真のようにたくさんの魚ヘンの漢字が書かれていますが、これらのうちの大部分は中国にない漢字です。つまり日本人が作った漢字で、このような「和製漢字」のことをまた「国字」といいます。
いうまでもなく、漢字ははるか昔に中国から伝わった文字であり、古い時代に日本はあんなにたくさんの漢字を受け入れたのに、いったいなぜ、さらにわざわざ日本独自の漢字まで作らなければならなかったのでしょうか。そしていったいどのような物や概念が、わざわざ国字を作ってまで表現されたのでしょうか。
その理由は、漢字が「表意文字」であるということにあります。 漢字のように、それぞれの文字が意味を持っているものを表意文字といい、平仮名やカタカナ、ローマ字、アラビア文字、あるいは韓国語を書くハングルのように、それぞれの文字自体には意味がなく、単に発音しか表さないものを表音文字といいます。
古今東西これまでの世界にはたくさんの文字がありますが、いまの地球上では、表意文字としてたくさんの人に使われているのは漢字だけです。そして表意文字であるということを逆に考えれば、それぞれの漢字はすべて、ある特定の意味を表すために作られた、ということになります。
具体的な例を、いま鳥で考えてみましょう。大昔には公園なんかありませんでしたが、川べりや林の中には、ポッポッポッと鳴いている鳥がいたことでしょう。それで、その鳥を表すために、どこかのだれかが、いつかの時代に、「鳩」という漢字を作りました。その文字をだれがいつ作ったかは、残念ながらわかりません。でもそれと同じように、たぶん別の人が、いつかの時代に、家の軒先でチュンチュン鳴いている鳥を表すために、「雀」という漢字を作りました。ほかにも、どこかのだれかが同じように「鶴」や「燕」、「鷲」、「鴨」、「鶏」、「鷹」などの漢字を作りました。こう考えていけば、もし鳥が100種類いたら、原則的には100種類の漢字が作られる、ということになります。
魚だってもちろん同じです。はるか昔に中国で漢字が作られたのは黄河の流域と考えられますが、黄河にはコイという魚がいましたから、中国人は「鯉」という漢字を作ってその魚を表しました。同じように「鮒」(中国では「鯽」と書くこともあります)という漢字でフナを、「鱒」でマスを、「鰻」でウナギという魚を表しました。また実際に見たことはないけれど、遠くの海に「クジラ」というとてつもなく大きな魚(古代人は鯨が哺乳類であるとは知りませんでしたから魚ヘンです)がいると聞いて、それを表すために「鯨」という漢字を作りました。こうして昔の中国では何種類もの魚を表す漢字ができました。
中国は古くから「地大物博」(大地は広く、物産は豊富である)の国と形容されますが、こと海産物に関してだけは、日本と比べたらいささか貧弱です。中国は東の一方が海に接しますが、古代の文化が栄えたのは内陸部で、一生海を見ずに世を去る人の方が圧倒的に多く、そのことは今でも基本的に変わっていません。
淡水の川である黄河や長江には、私たちにはおなじみのタイも、ブリも、サバもカツオもイワシもいません。だからそんな見たこともない魚を表す漢字を、中国人が作るはずがありません。それに対して四方を海に囲まれたわが国は、早くから生活物資の多くを海から得てきました。なかでも魚類は種類が非常に多く、資源としてもきわめて恵まれた状況にあります。日本人が昔から食べてきた魚は決して日本固有種というわけではありませんが、しかし中国大陸の食生活には登場しないものが多く、結果としてその魚を表す漢字が中国には存在しないので、日本人はしかたなく独自の漢字を作って、それを表してきました。そういうわけで、寿司屋さんの大きな湯飲みに記される魚ヘンの漢字のほとんどは、和製漢字、つまり国字であるということになるわけです。
では日本ではどのように魚を表す漢字が作られてきたのか、その実例として、イワシという魚を考えて見ましょう。
西暦694年のこと、「春過ぎて 夏きたるらし 白たえの 衣干したり 天の香具山」(『万葉集』巻1)という有名な歌(百人一首ではすこし表現がちがいます)で知られる持統天皇が、いまの奈良県橿原市と明日香村の境にあった地域に都を置きました。「藤原京」とよばれたその都は、日本で最初の中国式条坊制(碁盤の目の形)をしいた都城として、710年に平城京に遷都されるまでの16年間、日本の首都とされていました。
この地域を奈良文化財研究所(正式名称は独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所、以下「奈文研」と表記)が1955年から調査し、数次の発掘によって、当時の政治・儀式の場であった大極殿や、貴族・役人の集まる朝堂院など規模の大きな遺跡の研究に取り組んできました。
この調査によって大量に発見された木簡(文字を書いた木の札)の一枚に、「熊毛評大贄伊委之煮」と書かれた荷札があります。「熊毛評」とは周防国熊毛郡、すなわちいまの山口県南東部にある熊毛郡で、「大贄」とは朝廷や神さまに対するお供えのこと。
ここに見える「伊委之」はイワシという魚の名前を音仮名(万葉仮名)で書いたものと考えられます(「委」は「倭」の《人》を省略した形)。研究によれば、この木簡は熊毛郡の民が瀬戸内海で獲ったイワシの煮物を天皇へのお届けものとして藤原宮に貢進したさいの荷札と考えられます。そしてこの「伊委之」という書き方は、その魚を表す漢字がないので、音声による発音を漢字の音だけ使って書き表した、いわゆる万葉仮名で書き表したものでした。
それがある時期から、万葉仮名による表記をやめて、専用の文字を作って表現するようになっていきました。その和製漢字をいつ、だれが、どのようにして作ったのかということに正確に答えるのは非常に困難ですが、しかし現在までの出土資料から考えれば、国字はすでに奈良時代から使われていたことがわかっています。
藤原京のあと、和銅3年(710)から延暦3年(784)まで都であった平城宮跡からも近年大量の木簡が発見されており、その中に「鰯」という字が書かれた札があります。
奈文研が制作し、運用している「木簡データベース」という、非常に有用でありがたい研究資料によれば、奈良市二条大路南二丁目から発見された木簡には「鰯肆拾隻(イワシ40匹)」という文字が書かれていました(木簡番号3535)。これがいま見ることができるもっとも古い「鰯」という漢字の用例で、「鰯」は《魚》と《弱》を組み合わせ、「弱いサカナ、すぐに死ぬサカナ」という意味で、会意の方法で作られた国字です。
イワシという魚の表記に関して、このように万葉仮名から国字作成へと変化してきた背景には、正規の漢文の学習が普及し、漢文の形式に準拠した文書の作成が要求されてきたという事実があるのだろうと考えられます。仮名書きは、たとえそれが漢字を使った万葉仮名方式であったとしても、やはり格式が一段低いものと認識され、それで次々に国字が作られてきた、と私は考えます。
でも、漢字がないのなら、いちいち和製漢字なんか作らずに、「いわし」とか「イワシ」と仮名で書いたらいいじゃないか、と考える人もいるかもしれません。しかしこの時代にはまだ平仮名もカタカナもそれほど完全な形では存在していませんでした。平仮名の初期段階を示すものには8世紀末期の正倉院文書があり、またカタカナのように、漢字の一部分を使ってその文字を表す方法も7世紀半ばくらいからありましたが、ちゃんとしたカタカナのルーツとして出てくるのは9世紀になってからです。
そしてそれよりももっと重要なこととして、平安時代には文字の役割分担、つまり「住み分け」がありました。具体的には、平仮名は宮中の貴族が和歌や物語を書く時に使う文字、カタカナは僧侶が仏典を学ぶときに使う文字であって、一般の役人は漢字だけで文書を書くしか方法がありませんでした。
ところで冒頭の写真は、私が北京のスーパーで買ったイワシの缶詰めです。缶の周囲には大きくイワシの絵が描かれ(なんだかサメのように見えますが)、横に白抜きの文字で「茄汁」とあるのは、ケチャップのことです(中国語ではトマトのことを「蕃茄」といいます)。つまりこれはケチャップ味のイワシの缶詰めです。
そして横に大きく「SARDINE」というローマ字と、「沙丁魚」という漢字が書かれています。SARDINEはもちろん英語でイワシをいういい方で、「沙丁」はシャーディンと発音し、英語sardineの発音を漢字で写し取った書き方です。
このように今の中国ではイワシの缶詰が販売されており、また日本式の回転寿司屋に行くと、時々はイワシの握りが回っていることもありますので、現代の中国人がイワシを知らないわけではありません。しかしその魚を今の中国語では英語から作った音訳語「沙丁」と書きます。イワシを表す専用の漢字は、これまで中国では一度も作られたことがありません。
≪参考リンク≫
≪著者紹介≫
阿辻哲次(あつじ・てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長
1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
≪記事写真・画像出典≫
記事上部:中国のオイルサーディン缶詰め 著者撮影
記事中:大きな湯飲み 漢字ミュージアム提供
「伊和志」とある木簡 木簡学会編『日本古代木簡選』 岩波書店 図版29