四字熟語根掘り葉掘り13:捨てがたかった「勇気百倍」
著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
辞書編集で最も頭を悩ませる作業の1つに、その辞書に収録することばの選定があります。どんな辞書でも収録できる語数には限りがありますから、何らかの基準で、収録するかしないかを決めなくてはならないのです。
四字熟語辞典の場合は、これが特に大問題。なぜなら、あることばが四字熟語なのか、それとも単に漢字が4つ並んでいるだけなのかを判別する基準を設けるのは、とてもむずかしいからです。
たとえば、「温故知新(おんこちしん)」。〈昔のできごとをよく知ることによって、新しい知見を得る〉という深い意味を、たった漢字4つで表すこのことばは、いかにも「四字熟語」と呼ぶにふさわしい風格を備えています。
『論語』の一節に由来するとなれば、なおさらのこと。このことばを収録していない四字熟語辞典は、まず存在しないでしょう。
では、「被害妄想(ひがいもうそう)」はどうでしょうか。これまた、多くの四字熟語辞典に収録されていることばですが、意味はといえば、〈害を被っていると妄想する〉という程度で、漢字を4つ並べただけだと言われれば、その通り。私が今、原稿執筆中の四字熟語辞典では、割愛することにしました。
一方、ほとんどの四字熟語辞典が収録していないことばに、「勇気百倍(ゆうきひゃくばい)」があります。意味は〈勇気が百倍にもなる〉こと。確かに、何の変哲もない、漢字が4つ並んだだけの表現のような気もします。
ただ、これも割愛するとなると、ちょっと後ろ髪を引かれます。なぜなら、かの文豪、太宰治が、名作『津軽』のクライマックスで使っているのが、とても印象に残っているからです。
さらには、近くは中島京子さんの『小さいおうち』や、冲方丁(うぶかた・とう)さんの『天地明察』にも出てきます。多くの作家が使っていることばなのです。
そこで、中国ではどうなのか、調べてみました。すると、驚いたことに、11〜12世紀の中国の文豪、蘇轍(そてつ)の文章で用いられているのを皮切りに、とても多くの使用例が見つかるではありませんか。
1000年近くにわたって、中国や日本で使われてきた表現。その歴史を未来へと受け継ぐという意味でも、「勇気百倍」は、四字熟語辞典に収録されるにふさわしいことばだ、と私は思うのです。
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≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。
1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。
著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。
また、東京の学習院さくらアカデミー、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/
≪記事画像≫
『晩笑堂画伝』より蘇轍像