四字熟語

四字熟語根掘り葉掘り15:思い込んだら「拱手傍観」

四字熟語根掘り葉掘り15:思い込んだら「拱手傍観」

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 花火のシーズンになって、浴衣で歩いている人をちらほら、見かけるようになりました。浴衣を着ると、なんだか時代劇に出て来る人になったような気分になりますよね。江戸の遊び人を気取って、両腕を袖の中に引っ込めてふらふらと歩き回ってみたくなったりします。

 「袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)」とは、文字通りには、〈両腕を袖の中に引っ込めて、そばで見ている〉こと。〈ものごとに関わろうとしないで、ただ見ているだけである〉ことのたとえとして使われます。

 洋服でも、ゆったりしたセーターやコートならば、手の先まで袖の中に引っ込めることは、可能です。しかし、あまり見栄えのいいものではありませんよね。文字通りの「袖手傍観」のポーズには、やはり、和服の方がお似合いでしょう。

 ところで、「袖手傍観」には、双子のような四字熟語があります。それは、「拱手傍観(きょうしゅぼうかん)」。「拱」とは、「こまねく」と訓読みして、〈腕組みをする〉ことを表す漢字ですから、「拱手傍観」も、やはり〈ものごとに関わろうとしないで、ただ見ているだけである〉ことのたとえとして用いられます。

 ただ、「拱手」といえば、両手を胸の前で合わせる、中国式のあいさつのしかた。そこで、「拱手傍観」は中国で生まれた四字熟語で、「袖手傍観」はそこから日本で派生したものだと、なんとなく思っておりました。

 ところが、四字熟語辞典の原稿を書こうとして調べてみると、さにあらず。どちらも、遅くとも11世紀には、中国語の文章で用いられています。そして、以後、現在に至るまで、「袖手傍観」の方が圧倒的によく使われ、「拱手傍観」の使用例はほとんど目立たないのです。

 たしかに、昔の中国の肖像画では、袖がゆったりした服を着ている人がよく描かれています。ですから、「袖手傍観」に和服のイメージを抱いていたのは、私の勝手な思い込み。ただ、ちょっとおもしろいのは、明治から昭和初期ごろまでの日本語の文章では、五分五分か四分六分くらいの割合で、「袖手傍観」よりも「拱手傍観」の方がよく使われている、ということです。

 四字熟語とは、中国的なもの。だったら、「袖手」よりも中国っぽい「拱手」の方が、四字熟語にはふさわしい。……昔の日本人の中にも、私と同じように、そんな思い込みをした人が多かったのかもしれませんね。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「拱手傍観」を調べよう。
漢字ペディアで「袖手傍観」を調べよう。

≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。
1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。
著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。
また、東京の学習院さくらアカデミー、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

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