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あつじ所長の漢字漫談36 洛はなぜ京都を表すか

2018.07.26

あつじ所長の漢字漫談36 洛はなぜ京都を表すか

 洛中洛外図という、非常に有名な屏風絵があります。これは今から何百年も前の京都の市街地(洛中)と郊外(洛外)の景色や、そこにくらす人々の生活風景を描いた絵を屏風に仕立てたもので、タイトルにある「洛」は、ここでは「京都」という意味で使われています。

 このテーマは屏風絵として非常に人気があり、室町時代から江戸時代後期まで、このタイトルで150種以上もの絵が描かれ、いまは国宝2点、重要文化財5点が指定されています。

 多種多様の洛中洛外図の中でも特に優れたものに、東京国立博物館が所蔵する「舟木本」(国宝、滋賀県の舟木家に所蔵されていたことから命名)があります。「六曲一双」(6枚の絵でワンセットの屏風が左右一組になる形式)の屏風での右隻(右の6枚)では右端に京の大仏(方広寺大仏殿)が配置され、いまもその近くにある三十三間堂では、筋骨たくましい武士が「通し矢」に挑んでいます。いっぽう左に置かれる屏風(左隻)の左端には二条城が描かれ、左隻と右隻の間に、三条・寺町・河原町など繁華街の街並みと、そこに遊ぶ多くの人々の姿が生き生きと描かれています。いま漢字ミュージアムがある祇園近くには清水寺や建仁寺などの名刹が連なり、歌舞伎小屋や市内を練り歩く祇園祭の山鉾などが、まことに写実的に描かれています。何百年も前の人々が暮らしていた街並みや家屋が、人々が従事していたさまざまな職業のありさまとともに詳しく描かれていますから、この絵を見れば、当時の生活の様子や衣服、あるいは髪型などがよくわかり、いつまでも見飽きない絵画として多くの人から鑑賞されています。

 さて絵の内容はそうであるとして、京都を描いた絵の標題になぜ「洛中」とか「洛外」ということばが使われているのでしょうか。それはいうまでもなく、京都をかつての中国の代表的な都の地であった洛陽になぞらえてのことでした。

 今の中国の首都である北京がはじめて王朝の都となったのは金王朝の時代でした。金は東北地方で半農半牧生活を営んでいた女真族の阿骨打(アクダ)が1115年に建てた国で、はじめは都をいまの黒竜江省ハルビン市附近に置いていましたが、その後第4代海陵王が、1153年にいまの北京に「中都大興府」という都を建てました。

 この街が、その後モンゴル族が統治した元の時代に大発展しました。元を建国したフビライは1267年から26年間もの時間をかけて壮大な都「大都」を造営しました。それがいまの北京の直接の前身で、大都は内陸にあるにもかかわらず、都市が海につながるように設計されています。具体的には、いまの天津にあった港から通州を通る運河が開削され、それが大都城内の積水潭(せきすいたん)につながることで、米や絹織物など江南地方の産物、あるいは海のシルクロードから運ばれたエキゾチックな商品までもが大都に運ばれました。こうして物資は飛躍的に豊富になり、さらには西方からの旅行者や商人まで大都を訪れ、その中にはイブン・バットゥータやマルコ・ポーロなど、後世に名前を残している人が何人もいます。

 今の中国語では横丁のことを「胡同」(フートン)といい、北京には「~~胡同」という細い横丁が無数にありますが、胡同はモンゴル語で「集落」を指すことば「ホトン」が語源とされています(異説もあります)。ほかにも市内建国門には元の時代の天文観測機器「観象台」がそのまま保存されているなど、今の北京にはかつての元の首都であった大都の名残があちらこちらに残っています。

 その元を滅ぼした明は、はじめ南京を首都としましたが、クーデターを起こして皇帝となった第3代皇帝永楽帝が北京に遷都し、それ以後は辛亥革命で清朝が滅ぶまで、ずっと北京が首都でした。

 4000年以上におよぶ長い中国の歴史では、今から1000年前あたりからあとは基本的に北京と南京を都としていますが、それまでの時代の代表的な都は、長安と洛陽でした。

 中国史上最初の大帝国を築いた秦の始皇帝は咸陽(かんよう)という街を都としましたが、それは長安(現在の西安)のすぐ西に隣接しています。そしてその秦を倒して前206年に成立した漢は長安を都としました。長安は西のローマと並び称される世界最大の街として空前の繁栄をきわめます。

 漢はやがて王莽(おうもう)という人物に乗っ取られてしまいますが、それはごく短い中断期間であり、やがて再興された漢王朝(王莽以前を前漢、再興以後を後漢といいます)は、黄河中流域にある洛陽を首都としました。洛陽はもともと周王朝の都であり、前漢でも副都とされていました。そして7世紀から9世紀にかけて世界的な大帝国を築きあげた唐は、長安を首都とし、洛陽を副都としました。

 前漢と唐の首都として栄えた長安は、中国全体から見ればずっと西に奥まったところにあり、街の北・西・南はいずれも遠くヒマラヤまで続く険しい山岳地帯につながっていますが、街の北を流れる渭水(いすい)という川を通って東に向かえば潼関(どうかん)というところで黄河に合流し、そこからは黄河本流を通って、中国中央部に進んで行くことができます。 オルドス砂漠の中を北から流れてきた黄河は、渭水と合流してほどなく、ほぼ直角に大きく曲がってまっすぐ東へ向かい、やがて洛陽の北方で山岳地帯を抜けて華北平原へと流れていきます。ここからはじまる黄河の下流域を「中原」(ちゅうげん)といい、世界史のなかで燦然と輝く中国文明での中核地域として、過去に数多くの王朝の都が置かれてきました。

 洛陽は黄河が華北大平原に出る出口に位置しており、立地条件の良さから、早く新石器時代からたくさんの集落がこの地にいとなまれてきました。近年に実在が証明された夏王朝の遺跡と考えられている二里頭遺跡もここにありますし、甲骨文字を使っていた商王朝(殷)を滅ぼした周は、はじめは首都を西安近くの鎬京に置きましたが、商王朝の残存勢力がまた強く残っていた東方地域ににらみをきかす戦略的な拠点として「洛邑」(らくゆう、成周あるいは東都と呼ばれる)を築き、ここに洛陽の華やかな歴史がはじまります。

 このような歴史をともなって、周から秦漢にはじまり唐に至るまでの多くの王朝では、西の拠点である長安と華北大平原の真ん中にある洛陽が渭水と黄河によって結びつけられ、東西2つの都として栄えました。ただし黄河流域は北宋時代に開封(かいほう)が都とされてからあと現在に至るまで政権の中枢をになう都がおかれることはなく、かつて乾隆帝が「九朝の古都」と呼んだ伝統的な王城の地である洛陽も、いまは工業として栄えています。しかし洛陽は九朝どころか実際には13の王朝で都とされましたから、かつて栄えた華やかな文化のあとを示す遺跡が、驚くほどたくさん残っています。

 伝説によれば、仏教は後漢の時代に中国に伝わったとされ、それを記念する遺物として、仏典を運んできた白馬をまつった「白馬寺」が洛陽に建てられました。また鮮卑(せんぴ)族という遊牧民族が建てた北朝の王朝「北魏」(ほくぎ)で、漢民族の文化に強い憧憬をもった孝文帝が西暦493年に都を北の大同から洛陽に遷都した時には、もともといた故郷にあった石窟寺院「雲崗(うんこう)石窟」を偲んで、街の南に壮大な石窟寺院「龍門石窟」を作りました。龍門石窟にはおよそ3万体の仏像と、仏像建立の由来を初期の楷書で記した無数の造像記があって、うちの著名なものが「龍門二十品」という名でよく知られています。洛陽は、2000年にはユネスコ世界遺産に登録されました。

 その洛陽という街が、中国でのもっとも代表的な王城の地として、京都でも地名に使われました。古代日本の街作りが中国をモデルとしたことはよく知られており、京都のことも古い詩文では洛陽と長安にたとえられています。

 ところで京都には左京区と右京区がありますが、現在の地図では、右の方に左京区が、左の方に右京区があります。また8月16日に五山の送り火がおこなわれる大文字山が左京区にあるのに対して、「左大文字」山は右京区にあります。

 これは現代の地図が北を上にして描かれるからそうなっているのであり、かつての京都では、御所におられる天皇から見て右と左を命名しました。中国には古くから「天子南面」ということばがあって、天子すなわち皇帝は南の方をむいて座ることになっていました。南を向いて座れば、東が左、西が右になります。それで、天皇から見て左にある東側を左京区、右にある西側を右京区と名づけた、というわけです。

 そして中国では長安が西、洛陽が東にあることから、一説によれば、古代の平安京を東西に分けて、西側を「長安」、東側を「洛陽」と呼んだといわれます。つまり右京が長安、左京が洛陽になるわけですが、「長安」すなわち右京はもともと湿地帯が多く、街の拡張が困難だったことからあまり発展せず、それに対して東側は寺町から河原町、さらには鴨川の東側まで市街地がひろがり、時代とともに大きく繁栄してきました。つまり実質的な市街地が左京すなわち「洛陽」だけとなってきたことから、「洛陽」が京都全体を指す言葉になり、その一字を採って「洛」だけで京都を意味するようになりました。

 それが「洛中洛外図」という名称に反映されているわけです。

《関連リンク》
漢字ペディアで「洛」を調べよう

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 

《記事写真・画像出典》
記事上部:「洛中洛外図」東京国立博物館所蔵 舟木本
     画像提供元:東京国立博物館「研究情報アーカイブズ」
     ※当協会にてトリミングして掲載しています。
記事内画像:北京の横丁   著者撮影
      中国中央部地図 阿辻哲次『図説漢字の歴史』大修館書店
      龍門石窟    著者撮影
      洛陽の文字(京都市・四条通縄手 仲源寺 めやみ地蔵) 著者撮影

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