歴史・文化

あつじ所長の漢字漫談37 氷でひんやり美味しい話

あつじ所長の漢字漫談37 氷でひんやり美味しい話

著者:阿辻哲次(京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長)

 南氷洋に浮かぶ大きな氷山が崩れおちる衝撃的な映像が流され、「地球温暖化」ということばが新聞記事やテレビニュースなどで使われるようになって、もうずいぶんの時間が経ちますが、今年の夏ほど、そのことばを実感したことはなかったと思います。

 天変地異に見舞われた西日本では、6月に大阪近郊で大きな地震があり、続いて7月には岡山や広島、愛媛などの地域で「これまでに経験したことのない」大雨が降って、崖くずれによる家屋の倒壊、あるいは河川の氾濫による住宅への浸水が起こり、貯水場が破壊されて広範な地域で断水するなど、甚大な被害をもたらしました。

 さらにそこへ、いままで経験したことのない東回りでやってくる台風がおそいかかり、ダブルパンチを受けた被災地では、いまも多くの方が避難所で不自由な暮らしをしておられます。自然災害に対しては文句をいってもはじまりませんが、それにしても、大災害がこんなに立て続けに起こると、なんとかしてくださいと神さまに祈りたくもなります。

 被災された方々に心よりお見舞いを申しあげ、一日も早い復旧をお祈り申しあげます。

 今年の夏の暑さは、ほんとうに異常な気候でした。盆地であるがゆえにもともと夏は暑く冬は寒いといわれる京都の人は、真夏でも少々の暑さにはなれていますが、それでも今年はちょっと信じがたい状況が続き、気象ニュースから「38度を超える危険な暑さ」ということばが連日聞こえていました。もっとも暑いときは39・8度を記録し、さらに京都以外の地域では41度を超える「観測はじまって以来の最高記録」まで出たそうです。各地で人間の体温よりはるかに高い気温が続いて、熱中症にかかって病院に搬送される方が激増し、不幸にも亡くなられた方もたくさんおられたそうです。

 熱中症には十分な警戒と対策が必要で、不要不急の外出を控え、こまめに水分を取るようにとテレビでも注意されていますが、こんな時にはどうしても冷たい食べ物に手がでてしまいます。漢字ミュージアムがある京都の祇園でも、すぐ近くには江戸時代から続く「くずきり」の老舗や、抹茶パフェで有名なスイーツのお店があって、朝の開店から夕方までたくさんの内外からの観光客の方が並んでおられます。

 20年以上も前のことですが、真夏にシンガポールに行ったことがありました。シンガポールは赤道直下の地域なので非常に暑く、ちょっと休憩しようと喫茶店に入って冷たいものを飲もうと思ったのですが、メニューにはアイスコーヒーやアイスティーがありませんでした。私はしかたないので他の飲みものを注文したのですが、同行者はどうしてもアイスコーヒーが飲みたかったので、メモに英語でiced coffeeと書いて店員さんに渡したところ、やがてコーヒーシャーベットのようなものが出てきました。

 日本の夏ならどこにでもあるアイスコーヒーやアイスティーは、どうやら日本人が発明した飲み物で、これらの飲み物は、いまから20年くらい前まで、外国ではめったにお目にかかれませんでした。ただし今は事情がかなり変わってきていて、アメリカから世界中にひろがり、膨大な数の店を展開しているハンバーガーショップや有名コーヒーショップでは、夏には日本式のアイスコーヒーやそれにアイスクリームを載せた飲料などを商品として販売しており、現地の人からもとても人気があるようです。

台湾の屋台で売られていたマンゴーかき氷 アイスコーヒーについてはそんな状態ですが、これがかき氷となると、海外でもほとんどの地域に、古くから多種多様のものがあります。特にかつてたくさんの日本人が暮らし、日本文化がかなり根づいている台湾では一年中かき氷屋さんが大繁盛しており、現地でも非常に人気のある有名店が日本にも進出してきて、マンゴーなどをふんだんにトッピングしたものが、スイーツ好きの女性を中心に大人気だそうです。

 また韓国にも「ピンス」(漢字で書けば「氷水」)というかき氷があって、留学生から聞いた話では、アズキ餡にアイスクリームやフルーツ、トック(餅)などをたくさん盛った「パッピンス」(豆氷水)に人気があるのだそうですが、これは日本の氷のように上から食べていくのではなく、ピビンパのようにはじめからかき混ぜて食べるのだそうです。またフィリピンにもやはりアズキ餡にナタ・デ・ココ、やアイスクリームなどをどっさり載せた「ハロハロ」(Halohalo、タガログ語で「ごちゃまぜ」という意味)があって、日本のコンビニでも商品として販売されていることがあります。

 日本でも、今のようにおいしいアイスクリームやシャーベットなどの氷菓子が何種類も作られ、スーパーやコンビニなどで手軽に買えるようになる前は、子供が真夏にもっともよく食べたのは、駄菓子屋さんの店先で売られていたかき氷でした。子どものころわが家の近くにあった駄菓子屋さんは、お店の前で夏はかき氷(昔の大阪では「こおりまんじゅう」と呼んでいました)、冬はたこ焼きを売っていて、小学生たちは家から小さなガラス鉢を持って店にいき、そこに削った氷を山盛りいれて、上から「イチゴ」とか「レモン」「メロン」「みぞれ」という名前のシロップをかけてもらいました。

 とてもなつかしい思い出ですが、そのかき氷とて、真夏でも簡単に氷が作られるようになった近代の産物であり、冷蔵庫などなかった昔は、子どもたちが夏に気軽に氷を口にするなどまず考えられませんでした。

ニスイヘンの「冰」常用漢字の「氷」
 いま使われている常用漢字の「氷」は、もともと「冰」と書かれていた漢字の俗字形で、「冰」は《冫》と《水》を組みあわせた会意文字です。「冰」のヘンとなっている《冫》、すなわちニスイヘンは、水が凍った時に表面にできる、ひきつったような形をかたどった文字で、だから「冷」とか「凍」という漢字にこれが使われていますし、「寒」の下部にある2つの点も、もともとはその形でした。この《冫》が点一つに省略され、右側にあった《水》といっしょになって、場所がすこし移動した結果できた形が「氷」です。

 氷ができるのは冬の寒い時に決まっています。ところがずっと昔の中国では真夏に皇帝が氷を家来たちに分けあたえる儀式があり、日本でも奈良時代にはそれを真似ておなじような儀式をおこなっていました。

 冷蔵庫もない時代に、真夏にどうして氷を手に入れるのか。種明かしは非常に簡単で、冬の間に小川のほとりなどにできた氷を切り出して、山奥の洞窟などに作った「氷室」(ひむろ)に貯蔵しておけばよいのです。こうしておけば夏まで氷を保存できますから、夏にそれを切り出してきて、皇帝が家臣に配っただけのことなのですが、この行為を通じて、皇帝は自分が宇宙の時間を支配していることを家臣たちに見せつけました。酷暑の時節に氷が配られるのを見た家来たちは、皇帝の絶大なる能力に心酔したはずにちがいありませんが、実はそんなにたいしたことはしていません。

 権力者とは昔から、ささいなトリックによって、偉大な能力をもつと見せかけるものだった、ということですね。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「氷」を調べよう
漢字ペディアで「冷」を調べよう
漢字ペディアで「凍」を調べよう
漢字ペディアで「寒」を調べよう

≪著者紹介≫

阿辻哲次先生
阿辻哲次(あつじ・てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。

●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 『角川新字源 改訂新版』のバナー

≪記事写真・画像出典≫

記事上部:著者の仕事場の飾りもの
記事内画像:マンゴー氷  台北の夜店にて著者撮影
      氷 と 冰   二玄社『大書源』

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