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あつじ所長の漢字漫談45 虫を閉じこめる庚申

2019.01.22

あつじ所長の漢字漫談45 虫を閉じこめる庚申

 漢字ミュージアムがある京都の祇園界隈は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』に登場する一力茶屋を中心とする日本屈指の花街ですが、同時にまた「八百八寺」といわれる京都の中でも、名刹とたたえられる寺院や著名な神社が密集している地域でもあります。

 漢字ミュージアムの正面玄関から四条通りに出て右を見れば、夏の祇園祭で有名な八坂神社の石段がすぐ目の前に見えますし、神社から北にいけば知恩院や青蓮院から平安神宮、南にいけば高台寺から清水寺にいたります。

 いっぽうミュージアムから南に向かえば、そこは軒先に提灯、窓にすだれをかけた家屋が軒をつらね、夕方には舞妓さんや芸妓さんが行き来するお茶屋さん街で、その先に、鎌倉時代の建仁2年(1202)に栄西禅師によって開かれた臨済宗の名刹建仁寺があります。ここは室町時代には京都五山のひとつとして、多数の学僧たちが学問の研鑽をつんだ、日本屈指の歴史をもつ禅宗寺院です。

 その建仁寺の広大な敷地に点在する塔頭のあいだを南に向かい、八坂通に出て東の方を見あげれば、細い道の向こう、はるか東山のふもとに美しい五重の塔が見えます。東山界隈でもっとも有名なランドマーク「八坂の塔」で、京都土産の絵はがきや写真、包装紙などたくさんのものにこの塔が描かれています。

 この八坂の塔のすぐ隣に、「八坂庚申堂」という小さなお寺があります。正式名称は大黒山延命院金剛寺ですが、土地の人から「八坂の庚申さん」と呼ばれているこの庚申堂は、ホームページ(http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/)によれば、大阪の四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂(現存せず)と並んで「日本三庚申」の一つに数えられるとのことで、古くから人々の信仰を集めているお寺です。とくに近ごろでは、カラフルな布地で作られた「くくり猿」がいたるところに奉納されている光景が「インスタ映え」するとの評判が人気を呼んで、若い女性がたくさん集まるスポットになっているようです。

 それはさておき、このお堂の名前にある「庚申」は、江戸時代の日本で広く信じられていた伝説にもとづいています。

 日本語で「庚」という漢字を見かけるのは、この庚申堂(「庚申塚」という地名が残っているところもあります)くらいですが、「庚」とは「十干」の七番目で、「かのえ」と読みます。「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の十種類で構成される「十干」と、おなじみの十二支「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」と組みあわせたものを、昔はカレンダーとして使いました。

 10種類の十干と12種類の十二支を最初から組みあわせていくと、10と12の最小公倍数になる60種類の組みあわせができます(右図参照)。昔はこの組みあわせで年・月・日・時刻を表したのですが、自分が生まれた時の干支の組みあわせが一巡して戻ってくる数え年61歳を「還暦」といいました(いまは満年齢を使います)。

 この組みあわせで日を表せば、やはり60日で干支が一巡しますが、うちのひとつで、庚が申と組みあわされる「庚申」(かのえさる)の日には、夜に眠らないという風習がかつてありました。

 中国固有の民族宗教「道教」によれば、人間の体内には「尸虫」というけしからん虫が3匹住みついています。3匹の「尸虫」、すなわち「三尸」は、ふだんは体内でじっとしているのですが、庚申の夜になると、人が眠ったあと口から抜け出して天に昇り、天帝にその人の悪口を言って、ふたたび戻ってくるというのです。60日に一度とはいえ、天帝に悪口をいわれるのはかないませんから、虫を空に昇らせないように、庚申の夜は朝まで眠らない、という風習ができました(中国にはこの習慣はありません)。

 『枕草子』(104段)に「庚申せさせ給ふとて、内の大臣殿、いみじう心まうけせさせ給へり」(庚申の徹夜をなさるということで、内大臣伊周様がとても気合いを入れておられた)という一節があるので平安時代末期にはすでにその習慣があったようですが、とくに江戸時代には、庶民にまでひろくこの習慣がおこなわれていました。

 しかしいまのようにテレビやビデオ、あるいはカラオケなどの娯楽があるわけではありませんから、朝まで起きているのは大変でした。そんなころに徹夜するもっとも簡単な方法は、仲間たちといっしょに朝まで飲み食いしながら語り明かすことでした。つまり徹夜の寄り合いで、そのときに使われた場所が「庚申堂」と呼ばれるようになりました。

 こうして庚申の夜は仲間とともに徹夜でおしゃべりしてすごす習慣ができたのですが、それとは別にもう一つ、朝まですごす方法がありました。それは夫婦二人きりで、朝までふとんの中でしっぽりすごすという方法です。それは若夫婦などにはたしかに楽しい方法だったでしょうが、しかしこのやり方はやっかみをまねいたり、町や村の団結を乱したりすることになりかねません。それで、庚申の夜に夫婦でしっぽりと布団ですごして、その時に身ごもった子供は大きくなってから泥棒になるという、とんでもない話が作られました。

 室町時代の文安元年(1444年)に、東麓破衲(とうろくはのう、東山山麓に暮らす貧しい僧侶というペンネームの、おそらく建仁寺の僧)が、室町時代の日常的な語彙に解説を加えた辞書『下学集』(時節門「十二時異名」)に「庚申」の項があって、そこに「此の夜夫婦婬を行へば、則ち其のはらむ所の子必ず盗を作(な)す」と書かれています。

 日本の大泥棒と言えば石川五右衛門ですが、その五右衛門も両親による庚申の夜の営みの結果生まれた子とされ、川柳(柳多留)に「五右衛門が 親 庚申の夜をわすれ」と詠まれています。またうっかりして庚申の日を知らなかったら、なにかと困った事態になったようです。「庚申をあくる日聞いて嫁困り」(川傍柳)

 昔の人はいろいろ大変だったようです。

《関連リンク》
漢字ペディアで「庚申」を調べよう

《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 

《記事写真・画像出典》
・「八坂庚申堂」著者撮影
・「くくり猿」著者撮影
・「干支表」著者作成
・「下学集」国立国会図書館デジタルコレクション

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