歴史・文化

漢字コラム43「幸」手枷をはめられて、なお求めるしあわせ

漢字コラム43「幸」手枷をはめられて、なお求めるしあわせ

著者:前田安正(朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長

 年の初めに今年の幸せを祈念した人も多いと思います。甲骨文字の「幸」は、手枷の象形という説もあります。どう考えても「しあわせ」には結びつきそうもありません。「幸」とは何を意味していたのでしょう。

 中国の字書「説文解字」には、小篆という書体の形を基に「幸」は「屰(ゲキ)」と「夭(ヨウ)」で構成されているとあります。「屰(ゲキ)」は「逆らう」、「夭」は「死ぬこと」です。つまり「幸」は、死ぬことに逆らう=生きながらえることだ、という解釈が成り立ちます。これがよい場合の意味になります。

 悪い場合には「不幸」という形で使います。これは「幸にあらず」つまり「死ぬことに逆らえない=生きられないこと」を意味します。「幸」は死を否定し、「不幸」はこれを更に否定する形で成り立っていることになります。

 また、手枷の象形という説からは「はめられた枠から逃れようと望む」→「まぐれな幸運を求める」という意味が付加され、ここからかなわぬ願いを得たしあわせ=僥倖を言うのだという解釈もあります。

 日本語の「さいわい(ひ)」は「さきはふ」の名詞形で、「さく(咲)」「さかゆ(栄)」「さかる(盛)」と同根だと言います。ここには「生長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く」という意味があります。また「しあわせ」は「為合(しあわす)」からきていて「事の次第、巡り合わせ、運命。よい場合にも、悪い場合にも用いる」とあります。

 ごく少数の為政者が、神意に基づいて社会を握っていた遠い昔。「人権」などの意識もことばもない時代。「生」への願いは、それほど切実だったのかもしれません。


≪参考資料≫

「漢字の起原」(角川書店 加藤常賢著)
「漢字語源辞典」(學燈社 藤堂明保著)
「漢字語源語義辞典」(東京堂出版 加納喜光)
「言海」(ちくま学芸文庫 大槻文彦)
「学研 新漢和大字典」(学習研究社 普及版)
「全訳 漢辞海」(三省堂 第三版)
「漢字ときあかし辞典」(研究社、円満字二郎著)
「日本国語大辞典」(小学館)、「字通」(平凡社 白川静著)は、ジャパンナレッジ(インターネット辞書・事典検索サイト)を通して参照
前田安正オフィシャルサイト「マジ文ラボ」https://kotoba-design.jp/

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「幸」を調べよう。

≪著者紹介≫

前田安正(まえだ・やすまさ)
朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長 1955年福岡県生まれ。
早稲田大学卒業。事業構想大学院大学修了。1982年朝日新聞社入社。名古屋編集センター長補佐、大阪校閲センター長、用語幹事、東京本社校閲センター長などを経て、現職。
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校で文章教室を担当、企業の広報研修などに出講。
主な著書に『漢字んな話』『漢字んな話2』(以上、三省堂)、『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』『「なぜ」と「どうして」を押さえて しっかり!まとまった!文章を書く』『間違えやすい日本語』(以上、すばる舎)。2017年4月発売の『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)は19刷8.4万部を突破。6月に『3行しか書けない人のための文章教室』(朝日新聞出版)を発売。2018年7月に『クレオとパトラのなんでナンデさくぶん』(大和書房)を発売。
一部地域を除き、4月から朝日新聞水曜夕刊にコラム「ことばのたまゆら」を連載(マジ文ラボからも読めます) 。
前田安正オフィシャルサイト「マジ文ラボ」はこちら

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