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あつじ所長の漢字漫談46 「漢」と「法」はなぜさんずいへんか?

2019.02.07

あつじ所長の漢字漫談46 「漢」と「法」はなぜさんずいへんか?

 ある漢字の読み方や意味を調べようとして漢和辞典(あるいは漢字字典)を引くときに、「部首」というものに出くわします。よく知られている部首には、《イ》(にんべん)とか《リ》(りっとう)、《竹》(たけかんむり)などがあって、部首についての説明はだいたい小学校3年生くらいの国語の授業に出てきます。そのときに、部首として使われている要素はその漢字全体の中で意味を表すはたらきをもつ、と教わったことを覚えている方も多いでしょう。

 たとえば《言》(ごんべん)を部首とする「語」とか「談」などの漢字は《言》によって「ことば・ものをいう」という意味をあたえられていますし、「結」や「紐」は《糸》(いとへん)によって、「糸に関係あることがら」という意味をあたえられています。

 これは漢字のなりたちを説明するときの基本ですが、小学校の教科書では非常にわかりやすい例しか出てきません。でもそれぞれの漢字と部首との関係は、実際にはそんなに簡単なものばかりではありません。

 小学校で学習するおなじみの漢字を考えても、たとえば「初」にはなぜ《衣》(ころもへん)が、「終」にはなぜ《糸》(いとへん)がついているのかと聞かれたら、そう簡単には答えられませんよね?

 タネ明かしをすると、「初」は《衣》と《刀》からなる会意文字で、服を作るために最初にはさみで布地を裁断することから「はじまり」という意味を表します。また「終」では右側に《冬》がありますが、《冬》は針に糸を通したときに末端に作られる結び目の形で、そこから「冬」は「一年の終わりの季節」という意味を、そして「終」は「末端、最後のところ」という意味を表します。

 さて学生さんや社会人が使っている一般的な漢和辞典で、もっともたくさんの漢字を収録している部首はなんだと思いますか?こたえは《水》部で、これを部首する漢字は、「泉」や「泰」「暴」などでは《水》と書かれ、これを「したみず」と呼びますが、水に関係するほとんどの漢字では、「江」や「河」の左側のように点3つの形に書かれます。おなじみの「さんずいへん」で、これがついている「池」や「海」「湖」「沼」、あるいは「液」や「湯」「滴」(しずく)、それに「泳」「潜」「浴」などは、すべてなんらかの点で水に関係する意味を表しています。

 そこまではわかりやすいのですが、さんずいへんのある漢字の中にも、やはりちょっとわかりにくい構造のものがあります。たとえば「派」や「活」にもさんずいへんがついていますが、それらの漢字と水との関係など、そう簡単には思いつきません。「派」と「活」には、いったいなぜさんずいへんがついているのでしょうか?

 「分かれる」とか「グループ」という意味で使う「派」は、もともと川が下流に向かって流れていく途中に、本流から枝分かれしてできる支流を表す漢字として作られました。それでさんずいへんがついており、その「支流」という意味から、「派閥」とか「分派」ということばができました。

 もうひとつの、「活躍する」とか「生きている」という意味で使う「活」は、中国最古の漢字字典である『説文解字』では「水流の声」、つまり川が流れるときにたてる音と説明されており、実際に南朝・宋の有名な詩人謝霊運(385 - 433)が作った「石門の最高頂に登る」という詩(其の二)に、「活活として夕流は駛(はし)る」(ごうごうと勢いよい音を立てて、夕べの川は早く流れる))という用例があります。「活」は水の流れの擬音語であって、そこから「勢いがよい」という意味に使われるようになりました。

 さんずいへんがつく漢字はほかにもたくさんありますが、その漢字が水とどのように関係をもっているのか、それがもっともわかりにくい代表は、なんといっても「漢」と「法」だろうと思います。「漢」も「法」も日常的によく使う漢字ですが、その字を水や液体、あるいは川と関連づけて使うことはめったにありません。いったいなぜさんずいへんがついているのか、よく考えれば不思議だとは思いませんか?

 まず「漢」から説明しましょう。

 「漢」は「漢字」や「漢方薬」、「漢詩」ということばなどに使われているように、広く「中国に関すること」という意味を表していますが、さんずいへんがついている「漢」に、いったいなぜ中国という意味があるのでしょうか。それは始皇帝の秦がほろんだあとに劉邦(りゅうほう)が建てた漢王朝が、歴代王朝のなかでももっとも強力で長く続いた、中国を代表する王朝だったからです。

 のちに漢の高祖となる劉邦は、始皇帝なきあとの混乱状態の中で、かつて秦の首都だった咸陽(かんよう)を攻めて陥落させ、その功績によって、「西楚の覇王」と称していたリーダー項羽(こうう)から、漢水という川の流域に領土をあたえられました。

 漢水(また「漢江」とも)は現在の陝西省中央部の漢中市あたりを水源として東に流れ、湖北省の武漢市で長江に合流する、総延長が1500㎞をこえる大きな川ですが、その川の流域に領地を得た劉邦は、そこに流れていた漢水という川の名前にもとづいて「漢王」と名乗りました。その後勢力を拡大した劉邦は、やがてついにライバル項羽を倒し、自分の王朝を建てて皇帝となったときに、国号を「漢」と定めたのでした。

 つまり「漢」とはもともと川の名前であり、だから左側にさんずいへんがついているわけです(右側は「カン」という発音を表す要素です)。この川の名前が劉邦によって王朝名とされ、その王朝が400年あまりも続く大帝国となったことから、やがて中国という広大な国の文化や価値観の総称に使われるようになりました。つまりもともと川の名前だった「漢」は、劉邦によって大出世をとげたというわけですね。

 「漢」は以上の通りでおわかりいただけると思いますが、もう一方の「法」については、ちょっとややこしい話をしなければなりません。

 「法」という漢字はもともと「灋」いう非常に複雑な形で書かれ、さんずいへんの右側には《廌》と《去》の組みあわせがありました。ここに出てくる《廌》(音読みはチ)とは「獬廌(かいち)」(また「獬豸」とも書かれる)という想像上の動物で、牛に似ており(図版の『三才圖會』に見える絵では羊の形としています)、頭には角が1本生えています。

 獬廌は、天が吉兆を降したときなどに地上に出現する神秘的な動物、いわゆる「神獣」で、物事の当否や善悪を正しく判断することができる能力をもっているとされていました。そしてこの神獣がもつ不思議な能力が、古代中国では裁判に使われたというのです。

 古代の社会は、人間が知識や理性的認識で考えた合理的な事だけで物事を処理するのではなく、なんらかの方法で超自然的存在の力や、あるいは神さまのお告げを得て、それを中心として社会が運営されていました。裁判もそれと同じように、私たちの常識とまったくことなる方法で判決が下されました。

 たとえば古代日本の裁判では、ぐらぐら煮えたぎっているお湯の中に勾玉(まがたま)や小石を沈め、それを争いの当事者(原告と被告)に素手で取り出させ、手に残ったやけどやただれのようすなどからどちらが正しいかを判断した(「盟神探湯(くかたち)」という方法)という話が、『日本書紀』に記されています。

 またメソポタミアのバビロニアでは、動物の内臓のうち思考や判断をつかさどるとされた肝臓がもっとも最も重要な臓器だと考えられ、いけにえとして神殿にささげられたヒツジやヤギの肝臓の形や色、つやなどを調べて、そこから神さまのお告げを読み取ったのだそうです。

 現代人からは想像もできない迷信の世界で、こんなことで判決を下されたらたまったものではありませんが、古代ではこのような「神明裁判」があちらこちらでおこなわれていました。

 そして古代中国での裁判で、判決を出すのに使われたのが、想像上の一角獣である獬廌だったというわけです。右の古代文字は紀元前1000年前後に作られた青銅器に記録された文章に見える「灋」(=法)という漢字で、後世の字形と同じく、《水》と《廌》と《去》の組みあわせにわけることができます。

 ただし獬廌は神獣ですから、実際にそんな動物がいたわけではありません。それはあくまでも伝説で、大昔には裁判のときに法廷に獬廌を連れてきて、正邪の判断ができる獬廌が、ウソをついている人間をツノで突いた、と信じられていました。このとき獬廌に突かれた方が敗訴するわけで、敗訴した人間は《去》、つまりそのまま川に流し去られました。だから「法」の本来の字形である「灋」は、さんずいへんの右側に《廌》と《去》があるわけです。

 このように古代中国で信じられていた法という概念は、「水」と「神獣」と「去る」という3 つの要素で構築されていたのですが、「灋」があまりにも難しい字形なので、のちに《廌》の部分を取って、右側を《去》だけにしました。それがいまの「法」という漢字です。

《関連リンク》
漢字ペディアで「漢」を調べよう
漢字ペディアで「法」を調べよう


《著者紹介》
atsuji_muse.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
阿辻哲次(あつじ てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
●『角川新字源 改訂新版』のホームページ
 

《記事写真・画像出典》
・漢字5万字タワー(漢字ミュージアム内) 著者撮影
・初 終 甲骨文字『甲骨文字典』 北京工芸美術出版社
・活 『説文解字』 宋刊本
・漢高祖(劉邦)『三才圖會』
・楷書の「法」二玄社『大書源』
・獬豸 『三才圖會』
・金文の「法」二玄社『大書源』

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