四字熟語根掘り葉掘り34:「落花流水」と禁じられた恋

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
ソメイヨシノの花の見ごろは、満開になってからせいぜい1週間。あとは、はかなく散りゆくのみです。このコラムが公開されるころには、多くのところで散ってしまっていることでしょう。
散りゆく桜といえば、桜吹雪もいいですが、水面に浮かぶ花びらも、美しいもの。そんな風景を表す四字熟語が、「落花流水(らっかりゅうすい)」です。
この四字熟語、8世紀ごろから中国の詩でよく使われてきました。その場合の「花」とはおそらく桃でしょうが、晩春のどこかものがなしい情景として、その詩的な美しさには日本の桜と共通のものがあります。
しかし、「落花流水」には、それとはかなり異なる意味もあります。その元になっていると思われるのは、13世紀の中国で書かれた禅の書物、『従容録(しょうようろく)』に出て来る、「落花は意有りて流水に随(したが)い、流水は無情にして落花を送る」という一節です。
これは、〈散っていく花はまるで意図したかのように流れる水に身を任せ、流れる水はそんな気持ちを解さないかのように花を浮かべて流れていく〉という意味。ここから、「落花流水」は、意図があるともないとも言えない、微妙な悟りの境地をも表すようになりました。
さらに、日本語では、これが恋の場面に転用されて使われることがあります。「落花は意有りて流水に随い」の「落花」の立場に立って、〈はっきりと態度で示してはいないけれど、それとなく伝わって欲しいと願っているような恋心〉を指して用いられるのです。
たとえば、小説家の永井荷風の日記『断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)』に、次のような場面があります。
ある秋の午後、人妻と海辺を散歩する荷風。石垣の上にハンカチを敷いて座って、手を取り肩を寄せて語り合います。そのときの彼女のようすは、「胸中問はざるも之(これ)を察するに難からず。落花流水の趣あり」。しかし、荷風はそれに気づかぬふりをして、彼女を駅まで送って別れるのです……。
こういう微妙な心の動きを一言で表す四字熟語もすごいですが、それを使いこなす永井荷風の筆も、すごいですよねえ!
禅の悟りの境地とは、ことばによる理解を超えたものなのだとか。また、永井荷風にとっては、その恋は、ことばにすればその瞬間に終わってしまうしかないと感じられたのではないでしょうか。「落花流水」という四字熟語には、ことばにはできないものをことばによって表現するという、極めて高度なことばの力が秘められているようです。
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≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。
1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。
著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。
また、東京の学習院さくらアカデミー、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。
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●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/
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筆者撮影(2012年4月8日)