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新聞漢字あれこれ31 隅田区に流れるのは墨田川?

2019.11.13

新聞漢字あれこれ31 隅田区に流れるのは墨田川?

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 漢字表記が異なり同じ読み方をする地名が、同じ地域にあったりすることがあります。東京の「墨田」「隅田」はその代表例でしょう。

 東京スカイツリーは東京都墨田区にありますが、その近くを流れるのは隅田川です。川沿いにある公園は隅田公園。住居表示には墨田1~5丁目があり、学校関係では隅田小学校、墨田中学校、墨田川高校などが区内にあります。こうした表記の不ぞろいの背景には、1946年に制定された当用漢字表の影響があったとされています。

 墨田区は、東京が35区から22区(後に23区)に移行した1947年3月に本所区と向島区が統合してできました。初めは「隅田区」になる案が有力で、墨田区誕生の1カ月前の東京新聞には同社主催の「新區名投票の結果發表」という記事があり、隅田区が1位となっていました。この結果は世論を議決に反映させるため区会に送られましたが、当用漢字表に「隅」がなかったことなどを理由に不採用となりました。終戦直後は漢字を分かりやすく使うことが民主化につながるという意識が強く、区名決定にも当用漢字表による漢字制限が必要以上に影響したようです。

 一方、地元で「隅田川」として親しまれていた川は、当時は荒川の支流という位置づけで「隅田川」という名称ではありませんでした。歴史的には「墨田川」「角田川」「住田川」などいくつか表記が見られましたが、墨田区誕生から20年近くたった1965年の河川法施行により正式に「隅田川」となったという経緯があります。その後、「隅」は1981年に制定された常用漢字表に入りました。

 学校の開校(改称)時期からも、当用漢字表が校名に影響している可能性が見てとれます。隅田小の開校は1883年(明治16年)ですが、墨田中(1947年開校)と墨田川高(1950年、都立第七高校から改称)は当用漢字表の制定直後。町名の隅田町に至っては隅田川が正式名称になった1965年に墨田などに変わっています。当用漢字表に「隅」が入ってさえいれば、区名も含めこれらの名称も「隅田」にほぼ統一されていたのかもしれません。

 この8月、朝刊の校閲をしている時に、永井荷風の代表作『東綺譚』が『墨東綺譚』と間違って書かれたコラムがあり、慌てて直したことがありました。「」は隅田川を1文字で表す国字で、江戸時代後期の儒官である林述斎(1768~1841年)が作った個人文字。「東」で現在の墨田区一帯を指しますが、JIS第3水準の環境依存文字であるため表示が難しいからなのでしょう、ネット上では『墨東綺譚』もよく見かける表記です。

 ちなみに、墨田区にある東京都立墨東病院は「墨」の字を使います。漢字カフェでコラム「小さい赤ちゃんの呼び方~医療の現場より~」を執筆した久具宏司・産婦人科部長の勤務先でもあります。また、江東区には都立墨東特別支援学校があります。「墨田」と「隅田」に限らず、固有名詞は「東」と「墨東」の違いにも注意しないといけませんね。

≪参考資料≫

一般社団法人共同通信社『記者ハンドブック 第13版』株式会社共同通信社、2016年
岩崎雅子「墨田区と隅田川、『すみ』の表記なぜ違う? 23区に幻の区名」日本経済新聞電子版、2012年10月9日付
角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典3版』角川書店、1998年
笹原宏之『国字の位相と展開』三省堂、2007年
笹原宏之『方言漢字』角川選書、2013年
芝野耕司編『増補改訂JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
新潮社編『新潮日本語漢字辞典』新潮社、2007年
墨田区議会史編さん委員会『墨田区議会史・通史編』墨田区議会、1995年
竹内誠『東京の地名由来辞典』東京堂出版、2006年
田島優『現代漢字の世界』朝倉書店、2008年
日本経済新聞社編『謎だらけの日本語』日経プレミアシリーズ、2013年
飛田良文監修・菅原義三編『国字の字典 新装版』東京堂出版、2017年
「新區名投票の結果發表 名付親は『たれ』 世論 區會の議決に反映」東京新聞、1947年2月12日付
「当用漢字表(答申)」国語審議会、1946年
「町村の合併によって新しくつけられる地名の書き表わし方について(建議)」国語審議会、1953年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「隅」を調べよう
漢字ペディアで「墨」を調べよう

≪おすすめ記事≫

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 著書などに『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林 第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。

≪記事画像≫

ニングル / PIXTA(ピクスタ)

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