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新聞漢字あれこれ11 愛知県になぜ「金」の名前が多いのか

2019.02.06

新聞漢字あれこれ11 愛知県になぜ「金」の名前が多いのか

 愛知県には金偏の名前の人が多い――。こんな話を聞いたことはありませんか。正式な統計があるわけではないので真偽は分かりませんが、興味のあるところです。新聞記事を使って調べたところ、そんな傾向が少し見えてきました。さらに、名付けに関する不思議な言い伝えがあることも分かりました。

 新聞の校閲を長くしていると、経験則として愛知県に金偏の名前の人が多いかな、と思うことがあります。とはいえ、記事のすべてに登場人物の出身地や居住地が書いてあるわけではありませんので、断定はできません。ここでは、春と秋の叙勲記事を材料に「金」探しを試みました。受章者全員の姓名と居住地が記されているからです。

 まず、記事データベース「日経テレコン」を使い、2009~2018年の10年分の叙勲記事を検索。全受章者8万1447人の名前と居住する都道府県名を1人ずつチェックし、その中から日本人で名前に「金を含む漢字」のある人を抜き出してみました(姓は除く)。結果は305人で、そのうち愛知県は45人(約15%)とトップになり、東京都の30人(約10%)、秋田県の28人(約9%)が続きます。愛知が突出して多いのかどうかは分かりませんが、都道府県は47ありますので、それなりの占有率であるとはいえるでしょう。近隣の岐阜県(11人)と三重県(8人)を合わせた東海3県では全体の約2割に達します。では、なぜこの地域に「金」が多いのでしょうか。

 ヒントは国語学者の金田一春彦さんの著書『日本語の特質』にありました。「名古屋では、男の子が庚の年あるいは庚の日に生まれた人は泥棒になる、という俗言がありまして、それを防ぐためには名前にカネ偏をつければいいんだそうですね」というくだりです。同書には、名前に使える漢字に制限がなかったころは新たに金偏の字をつくって名付けをしたという話もあり、「金偏に豊」と書いた字に「夫」がついて、金が豊かだからトミオと読ませる名前の人が実在するとしていました。

 少し信じ難い話ではありますが、いろいろ調べていくと名古屋に限らず「金」の名付けをするという慣習があったのは確かなようです。『日本国語大辞典』の「庚申月」の項を見ると、江戸時代の国語辞典『俚言集覧』に「是月に生るる子には金偏の字をつくる」とあるのが分かりました。明治時代の法律審議の議事録(元老院会議筆記)に至っては「庚申の月に生まるる者は(名に)かならず金偏の字を用い、あるいは干支に拠って獣類の名を用いざるべからずとす」という記述まであるとのことです(高梨公之著『名前のはなし』による)。初めは「庚申」だけだったのが、伝わっていくなかで「庚」の付く年や日に対象が広がっていったのかもしれません。

 校閲記者になって2~3年たったころ、ある企業に「鏅」という字を使った名前の役員がいました。珍しい字で、その後も新聞ではこの方の名前以外では見たことがなく、強く印象に残っています。「もしかすると……」と思い、今回の調査にあわせて人名録で経歴を見たところ、愛知県の出身で生まれが1930年(昭和5年)ということが確認できました。同年は庚午の年。庚の年や庚の日に生まれた人が皆、泥棒になるとは思えませんが、少なくとも昭和初期にはこうした俗言が命名に影響していたといえそうです。

 と、前の段落でこのコラムは終わる予定でしたが、出稿する直前、阿辻哲次・日本漢字能力検定協会漢字文化研究所長のコラムを読んで、室町時代に作られた辞書『下学集』の「庚申」の項に「此の夜夫婦婬を行へば、則ち其のはらむ所の子必ず盗を作す」とあることを知りました。庚申の夜に身ごもった子供は必ず泥棒になるという話です。なるほど、この話から金偏の命名につながっていくことのようですね。では、なぜ泥棒になる話が作られたのか。詳しくは阿辻先生のコラムをぜひお読みください。


《参考リンク》
漢字カフェ「あつじ所長の漢字漫談45 虫を閉じこめる庚申」を読もう
漢字ペディアで「金」を調べよう。
漢字ペディアで「庚申」を調べよう。

《参考資料》
『漢検 漢字辞典 第二版』日本漢字能力検定協会、2014年
『新訂 現代日本人名録2002』日外アソシエーツ、2002年
『精選版日本国語大辞典』小学館、2006年
阿辻哲次「庚申の夜の過ごし方」日本経済新聞2019年1月20日付朝刊
亀井孝校訂『元和本 下学集』岩波文庫、1944年
金田一春彦『日本語の特質』NHKブックス、1991年
笹原宏之『国字の位相と展開』三省堂、2007年
笹原宏之『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』三省堂、2011年
芝野耕司編『増補改訂JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
高梨公之『名前のはなし』東京書籍、1981年

<著者紹介>
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社編集局記事審査部次長
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。人材教育事業局研修・解説委員などを経て現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。
著書に『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。

<記事画像>
金鯱(名古屋城)(happyphoto /PIXTA)

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