まぎらわしい漢字姓名・名づけ

新聞漢字あれこれ154 続「太」と「大」は悩ましい

新聞漢字あれこれ154 続「太」と「大」は悩ましい

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
 

 2カ月ほど前、人名の「」を「」と間違えるミスが起きました。思い込みが影響するのか、点の有無のミスは後を絶ちません。

 8月14日付の日本経済新聞朝刊四国経済面で、パリ五輪のレスリング男子フリースタイル65キロ級で金メダルを獲得した清岡幸郎(きよおか・こうたろう)選手の名前を「幸郎」と間違って掲載してしまいました。よりによって、出身地の高知県が「県民栄誉賞」を新設して授与すると発表したとの記事。せっかくのお祝いムードも1つの誤字で台無しになってしまいます。訂正記事が2日後に出ました。

 名前で「た」と読む字といえば、どうしても「」よりも多数派の「」を連想しがちですが、「」と書いて「た」と読む名前の人はほかにもいます。同じパリ五輪代表にはバドミントンのワタガシペア、渡辺勇大選手の名前も「ゆうた」と読みます。固有名詞は「」の点の有無にも目配りしなければなりません。

 ちなみに、パリ五輪日本選手団の男子選手218人の名前に使われる漢字で最も多かったのは「」の23人で、「」は2位の19人でした。どちらも名付けによく使われる字というのも混乱の原因なのでしょう。東京五輪でも306人中、「」が1位の28人で、「」は2位の22人でした。

 以前、こんなことがありました。2009年1月9日付の毎日新聞夕刊で「久慈次郎さんを思う」というコラムを読みました。久慈次郎といえば、都市対抗野球の敢闘賞に当たる「久慈賞」に名を残す戦前最高の名選手。全日本チームをファン投票で選出した1931年の日米野球大会で最高得票を獲得、1934年の日米野球では沢村栄治投手が好投した静岡・草薙球場での0-1の試合で捕手を務めたことでも知られます。その久慈の所属したチーム名が「函館洋倶楽部」と間違っていたのでした。

 函館洋倶楽部(函館オーシャン)は1907年に創部した現存する日本最古の社会人野球のクラブチーム。チーム名の由来は洋で、漢字表記は「洋」ではなく「洋」となります。都市対抗野球を主催する毎日新聞ですので、余計なお世話かとは思いつつも、今後のためと思い誤字を伝えると、5日後の紙面に訂正記事が載りました。私は縁あって、2006年に函館オーシャンの創部100年目の年に『函館オーシャンを追って』という本を出版した経緯があり、どうしても気になったのでした。残念ながらこの誤字は久慈の出身地の岩手県などでもよく見るものです。そんなこともあって、マスコミ用語担当者がつくった 使える!用字用語辞典には「函館洋倶楽部」の項目を立てたのでした。

1934年の日米野球指定席券

1934年の日米野球指定席券



 今年の5月、北海道新聞社で校閲を担当する方からメールをいただきました。都市対抗野球の北海道地区予選の組み合わせ表で「函館洋倶楽部」を「函館洋倶楽部」と間違ったことを伝えてきたものでした。校閲記者仲間であり、私の著書のことを知ってくれていたこともあっての連絡です。これは2日後に訂正記事が出ていました。

 実は私、ミスが出た5月18日はちょうど函館に滞在中で、当該記事にも目を通していたのです。その時は全く誤りに気づかず、連絡を受けてかえって恐縮したものです。知らないことだから間違うこともあれば、よく知っているものだからこそ誤りに気づけない、そんなこともあります。校閲をしていて第三者の目で見ているはずが、いつの間にか当事者側になって読んでいることがありミスを見逃すのと同じです。気を付けなければいけませんね。

 「」と「」の間違いを見るにつけ、函館オーシャンと久慈のことを思い出します。90年前の日米野球の函館開催に尽力した久慈の野球殿堂入り65周年を記念した「北海道ベースボールウィーク2024」が8月30日から9月1日にエスコンフィールドで開催され、北海道社会人・大学選抜と東京六大学選抜チームが北海道日本ハムファイターズのファームチームと対戦しました。

次回、新聞漢字あれこれ第155回は10月23日(水)に公開予定です。

≪参考資料≫

『マスコミ用語担当者がつくった 使える!用字用語辞典』三省堂、2020年
小林肇『函館オーシャンを追って』長門出版社、2006年

≪参考リンク≫

「日経校閲X」 はこちら
漢字ペディアで「大」を調べよう
漢字ペディアで「太」を調べよう

≪おすすめ記事≫

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。



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