まぎらわしい漢字姓名・名づけ

新聞漢字あれこれ104 辰己の「己」は誤字ですか?

新聞漢字あれこれ104 辰己の「己」は誤字ですか?

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 人名で誤記しやすい「」「」「」の3字。筆順でいうと3画目の長さが異なる別字ではありますが、それぞれ「キ」「ミ」と読ませることが多く、混同されるケースが後を絶ちません。

 こういう名字の選手がいるのかと思ったのが、プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの涼介(たつみ りょうすけ)選手。8月中旬の朝刊スポーツ面で、見出しの「辰」を「辰」に直したという校閲記者の業務報告を読み、恥ずかしながら初めて知りました。かつて野球少年だった私は、野球の記事はむさぼり読んでいましたので選手の名前もよく覚えたものですが、年を経るごとに選手情報に疎くなってしまい、いま分かるのは監督世代くらいです。

 野球ファンからすれば「辰」は常識なのだと思いますが、そうでなければ、まずは「辰」のほうを思い浮かべるのではないでしょうか。十二支の「 子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、(み)……」であり、辰は南東の方位を指します。とはいえ、姓は固有名詞なので、特別な読み方をしたり一般とは異なる字だったりすることはあります。報告書を見て、勉強になりました。

 ちなみに、辰選手は兵庫県神戸市の出身ですが、「たつみ」姓は奈良県に多いとのこと。同県は十二支で表した方角に由来する姓が多く見られ、「たつみ」は辰、巽、辰の順で、辰より辰のほうが多数派だといいます。

 校閲をする際に、スポーツ選手などの著名人の氏名ならば資料やネット検索などで容易に確認できます。ただ、一般人になるとなかなかそうもいきません。姓名について、こんな字の組み合わせがあるのか、こんな読み方をするのかといった疑問を持つことはよくあります。そんな時は人名音訓と用例が豊富な『増補改訂JIS漢字字典』を使い調べています。実際、「辰」も「」の項に載っていましたし、古典文法の然形の「」を用いた「辰」という姓があるのも確認できました。

 毎年春に新人記者研修の講師をしています。そこで、ミス防止の観点から固有名詞を正しく入力できるかどうかの演習を行っています。短時間で多くの固有名詞を正確に入力するのはなかなか難しいもので、今年は「」の字を持つ人名の正答率は59%。やはり思い込みがあるのか「」「」の誤答があり、全体で最低の結果でした。研修で間違いを体験することにより、ミスのパターンを記憶にとどめてもらうのが研修の趣旨なのですが、はたして効果はいかに。

≪参考資料≫

丹羽基二『苗字の由来百科』河出書房新社、1992年
森岡浩『47都道府県・名字百科』丸善出版、2019年
『漢字ときあかし辞典』研究社、2012年
『増補改訂JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
『新潮日本語漢字辞典』新潮社、2007年
『正しくきれいな字を書くための 漢字筆順ハンドブック 第三版』三省堂、2012年
『部首ときあかし辞典』研究社、2013年
『ルーツがわかる名字の事典』大月書店、2012年

≪参考リンク≫

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漢字ペディアで「己」を調べよう
漢字ペディアで「巳」を調べよう
漢字ペディアで「已」を調べよう

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。

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