まぎらわしい漢字姓名・名づけ

新聞漢字あれこれ153 「実」と「美」 間違うのは思い込み?

新聞漢字あれこれ153 「実」と「美」 間違うのは思い込み?

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
 

 パリ五輪関係の紙面に関する校閲部署の業務報告書を遡って読んでいたところ、柔道女子48キロ級金メダリストの角田夏実(つのだ・なつみ)選手の名前が「夏美」に間違っていたというものがありました。
 

 これは五輪開幕前の通信社の配信記事で「夏美」となっていたものを、電子版の校閲担当者が指摘して正しく「夏実」と直りました。その後、角田選手は日本選手団で金メダル獲得第1号になり注目度も上がったわけで、ミスが表に出なくてほっとしたものでした。

 こうした女性の名前で「実」を「美」に誤ることはよく起こります。同じ五輪関係でいえば、重量挙げ女子48キロ級に5大会連続出場した銀・銅メダリストの三宅宏実(みやけ・ひろみ)さんを「宏美」と誤っているのをよく見たものです。実際、東京五輪とパリ五輪に出場した日本女子選手の名前で一番多く使われていた漢字は「美」なので、女性の名前だと記者がつい「美」だと思い込み、間違えてしまうのだろうと思っていました。

夏季五輪日本女子代表の名前の漢字

 連載の第104回と第120回で、毎年春に新人記者研修の一環として行っている入力演習のことに触れましたが、「三宅宏実」さんも問題のひとつにしています。正答率は2024年度が88%(2023年度は65%)とあまり高くなく、不正解者は全員「宏美」としていました。「三宅宏実」と書いてある問題を見ながらパソコンで入力するだけなのですが、1割超が間違ってしまうという事実。演習の解説では「女性の名前だから『美』だと思い込んで間違う人が多い」と説明してきました。

 果たしてそうなのか。もう少し分析が必要ではないかと思い、蓄積された校閲部署の業務報告書を約10年分見返してみました。人名の「実」を「美」と誤る事例は多かったものの、必ずしも「女性の名前だから『美』」と間違えるものばかりではありません。確かに女性の「真実」「麻実」「実代子」を「真美」「麻美」「美代子」などと間違う事例が多かったものの、なかには男性の「克実」「知実」「喜実」を「克美」「知美」「喜美」と間違うものもありました。

 また、逆のケースで「美」を「実」に誤るものも数は少ないですが複数ありました。女性の「久美子」を「久実子」としたものや「真由美」が「真由実」となっていたものなど。少数派ですが名前に「美」の字を使う男性もいて「義美」を「義実」と誤ったものまでありました。こうなってくると単なる「思い込み」だけがミスの理由ではないようです。

 今後の研修では、「女性名の『美』と『実』はよく間違う」ほか、「男性名の『実』を『美』に間違う」ことがあること、「男性にも『美』の名前の人がいる」と伝えていこうと思っています。何はともあれ、固有名詞のチェックは1字1字丁寧に行いたいものです。

 『マスコミ用語担当者がつくった使える!用字用語辞典』では「実」と「美」の誤りやすい事例として「松任谷由実」さんと「三宅宏実」さんを掲載していますが、改訂の際は「角田夏実」選手を加えようかと考えているところです。

次回、新聞漢字あれこれ第154回は10月9日(水)に公開予定です。

≪参考リンク≫

「日経校閲X」 はこちら
漢字ペディアで「美」を調べよう
漢字ペディアで「実」を調べよう

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。



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