新聞漢字あれこれ108 埼玉県の方言漢字
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
ずっと気になっていたことが解決し、胸のつかえが取れたような気分になることがあります。国字である「蓜(ハイ)」のいわれが分かったときが、まさにそうでした。
「蓜」は20年くらい前から企業人事の記事で蓜島姓を何度か見かけていて、ずっと気になっていました。国字でありJIS第4水準の「超1級漢字※」でもあります。私が新聞から採集した使用例も蓜島姓しかなく、『増補改訂JIS漢字字典』の用例も姓だけでした。
もっと情報はないか。笹原宏之・早稲田大学教授の著書『漢字に託した「日本の心」』に「埼玉に『蓜島』がまとまってある」との記述がありました。新聞の叙勲記事(褒章、危険業務従事者叙勲を含む)10年分から約16万人の受章者の氏名で使われる漢字を調べたデータに当たってみたところ、「蓜」の使用例は2件で、2人とも「蓜島」姓で埼玉県在住。確かに埼玉に関係があるようでした。
姓の多くは地名に由来があるといいますが、「蓜」については地名が見つかりません。調べがここで止まっていたところ、2021年3月、笹原教授にお会いした際に手渡された「方言漢字マップ」(埼玉県編)に「蓜」の情報が載っていたのです。これは「八潮の地名から学ぶ会」が作製したA4紙を三つ折りにしたリーフレットで、埼玉県の方言漢字17字を地図とともに紹介。「蓜」は、さいたま市西区(旧大宮市)に姓として見られる字だということが分かりました。
「蓜」の調査に当たった同会事務局長の昼間良次さんによると、「昔、ハイシマ(ハイジマ)を名乗る公家が京都から草むらの多い土地に配置換えになり、配置換えの『配』に草冠を付けた字を姓にした」という伝承があるのだとか。地名由来ではないものの、土地の特徴だった「草」が生かされた姓だというわけです。さいたま市西区には蓜島姓の方々が住んでいるほか、蓜島姓の方が経営する「蓜」の字を使った屋号の店舗や企業名も見られます。「蓜」はこの地域にしっかりと根付いた字だといえるでしょう。
長い間気になっていたことがようやく分かり、何とも言えないすっきりとした気持ちになりました。近く「蓜」の聖地を訪ねてみようと思います。
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12月11日、埼玉県八潮市で「方言漢字サミット」が開催されます。5回目の今年は「漢字から生活文化を確認しよう!」がテーマで、笹原教授の基調報告「『方言漢字事典』を編纂して分かったこと」などのほか、私も「人名にもある方言漢字 ―命名の伝承と地域性― 」と題した報告をします。会場は「垳ふれあい会館」(垳も方言漢字)ですので、興味のある方はぜひお越しください。オンラインでの参加も可能です。http://gake840.blog.fc2.com/
※超1級漢字:JIS第1・第2水準以外の漢字のこと。筆者の造語。漢検1級の出題範囲である約6000字がJIS第1・第2水準を目安としていることから。
≪参考資料≫
小林肇「叙勲記事に見える漢字の地域性 ―新聞外字調査から―」第115回漢字漢語研究会資料、2018年
笹原宏之『漢字に託した「日本の心」』NHK出版、2014年
『国字の字典 新装版』東京堂出版、2017年
『増補改訂JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
『ビジュアル「国字」字典』世界文化社、2017年
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。
≪記事画像≫
メイン画像:昼間良次さん提供
記事中画像:「方言漢字マップ」(埼玉県編)