まぎらわしい漢字

新聞漢字あれこれ21 国技館に横綱はいても…

新聞漢字あれこれ21 国技館に横綱はいても…

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 5月下旬、安倍晋三首相夫妻とトランプ米大統領夫妻が大相撲千秋楽を観戦したことに関する記事について、読者から「字が間違っている」と〝物言い〟がつきました。

 記事は5月27日付朝刊に掲載された首相の一日の動静を伝える「首相官邸」。記事中に「東京・横の両国国技館」とあったところ、「横は横の間違いではないのか。単純な間違いが多い」という内容の指摘が読者から届きました。実はこれはよくある思い込みで、相撲に関係はあっても地名は「横綱(よこづな)」ではなく「横網(よこあみ)」が正解です。横網という場所に国技館を建設したわけで、国技館があるから横綱だというわけではありません。横綱・横網問題は校閲記者や校正者の間では有名な話で、読者による今回の物言いは結果的に〝勇み足〟でした。

 横網一丁目の住所表記「横網」は、両国国技館が現在の地で使用され始めた1985年よりもずっと歴史が古く、江戸時代の貞享年間(1684~88年)には既に「南本所横網町」と称していた伝統ある地名なのです。江戸時代初期にこの辺りは海苔(のり)干し場が広がっていたとのことで、名前の由来については「漁師が横に網を干していたから」(東京の地名由来辞典)という説もあるそうです。詳しくは、2013年9月18日付の日経電子版記事をぜひお読みください。(記事はこちらから

 地名の横綱・横網が話題になると、20年も前のある出来事を思い出します。朝刊のあるコラムを校閲していると「両国の国技館のすぐ近くに横綱町公園がある」という文が冒頭に出てきました。筆者はかなり癖のある校閲泣かせで有名なベテラン記者だったので、黙って「横綱」を「横網」に直そうと思ったものの、固有名詞や事実関係の誤りは出稿元に直接伝えるのがルールのため、本人のもとへ指摘に行きました。

 筆者に「横綱は横網の誤りです」と伝えたところ、「(国技館の近くなのだから横綱に決まっているだろ。何をばかなことを言ってるんだ)」と言ったような冷めた視線を私に向けてきました。「目は口ほどに物を言う」とは、まさにこういうことなのかと若かりし頃の私は実感したものです。こんな態度をとられるのは想定内だったので証拠の資料を見せると、今度は慌てた様子で「横綱」を「横網」に直し始めました。「とにかく正しく直ればよい」と思いつつ、自席に戻ったことを覚えています。

 5月30日、関連会社で校閲研修の講師を務め、そこで演習に両国国技館の所在地の誤りを見つけるという問題を出しました。ところが「東京都墨田区横綱1丁目」とすべきところを「東京都墨田区横綱町1丁目」と、うっかり余計な「町」を入れてしまっていて、受講者から終了後に誤りの指摘を受けました。初めに「こういう演習の場合、こちらの想定していない答えがあることもあります」と話してはいたのですが、本当に間違うとは……。教材は念入りにチェックしないといけませんね。

 国技館に横綱はいても、国技館は横綱にはない――。今回の研修で自ら間違ったことで、思い出す出来事が2つに増えました。

≪参考資料≫

竹内誠編『東京の地名由来辞典』東京堂出版、2006年
中川淳一「大相撲の町なのに…なぜ『横綱』でなく『横網』?」日本経済新聞電子版2013年9月18日付
日本経済新聞社編『日本語ふしぎ探検』日経プレミアシリーズ、2014年
『角川日本地名大辞典3版』角川書店、1998年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「綱」を調べよう。
漢字ペディアで「網」を調べよう。

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。
著書に『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。

≪記事画像≫

モモ / PIXTA(ピクスタ)

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