新聞漢字あれこれ150 パリ五輪と「愛の讃歌」
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
世界のアスリートが熱戦を繰り広げたパリ五輪が8月11日(現地時間)閉幕しました。今大会では開会式の報道で使われた固有名詞の漢字表記に気になるものがありました。
聖火の点火後に、世界的歌手のセリーヌ・ディオンさんがエッフェル塔から美声を放った「愛の讃歌」。これが一部の新聞・テレビで「愛の賛歌」となって報道されていました。「愛の讃歌」といえば、フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフさんが作詞し歌った楽曲。日本では岩谷時子さんが訳詞し、越路吹雪さんが歌った越路さんの代表曲として知られています。
それがなぜ、「愛の讃歌」と「愛の賛歌」で表記が割れたのか。国語辞典で「さんか」を引くと、多くは「賛歌・讃歌」と漢字表記が併記されています。そして「讃」の横に「×」や「▲」などの記号が付けられています。これらの記号は「常用漢字表にない漢字」を表しますので、現代の標準的な表記としては「賛歌」が望ましいということで、新聞・通信各社の用字用語集でも「さんか」は「賛歌」と書くように示しています。これが一部で「愛の賛歌」と表記された理由かと考えられます。
国語審議会が1956年に報告した「同音の漢字による書きかえ」には「讃→賛」が示されています。ただし、これは当用漢字の使用を円滑にするため、当用漢字表以外の漢字を含む漢語を処理する方法として、表中同音の別の漢字に書き換える語を示したもの。一般用語に限られる決まり事のため、固有名詞には及びません。あくまでも「讃」と「賛」は別な字であるからです。間違いとまでは言えませんが、楽曲名は固有名詞と考え、「愛の賛歌」ではなく「愛の讃歌」としたほうがよかったでしょう。
校閲の現場にいると代用漢字に関する混乱はよくあるものです。実は日本経済新聞でも今回の開会式の記事は初め「愛の賛歌」で出稿されたものが、最終的に紙面では「愛の讃歌」と直したのでした。代用漢字(同音の漢字による書きかえ)の運用については、連載の第87回(斑→班)、第93回(惣菜→総菜)、第122回(篇→編)でも触れていますので、参考にぜひお読みください。
私は母親が越路吹雪さんのファンで、私自身も加山雄三さんの曲をよく聴くことがあり、岩谷時子さんの作詞した曲には昔からなじみがあります。当然「愛の賛歌」ではなく「愛の讃歌」だろうと思うのですが、最近の若い人は必ずしもそうではないのかもしれません。2024年は越路さんの生誕100年に当たります。令和の時代、コーちゃんもハナちゃん(連載第15回)も通じなくなりつつありますね。
次回、新聞漢字あれこれ第151回は8月28日(水)に公開予定です。
≪参考資料≫
三省堂編修所編『新しい国語表記ハンドブック第九版』三省堂、2021年
『国語審議会答申・建議集』文化庁文化部国語課、2001年
『新聞用語集 2022年版』日本新聞協会、2022年
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。