まぎらわしい漢字姓名・名づけ

新聞漢字あれこれ15 ハナ肇のハジメです!

新聞漢字あれこれ15 ハナ肇のハジメです!

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 新年度に入りました。進級・進学、就職や異動などで学校や職場がかわった方もいらっしゃるかと思います。自己紹介をするような場面もあるのではないでしょうか。ところで、皆さんは自分の名前を初対面の人に伝える場合、どのように説明していますか。私の場合は……。今回は「字解き」の話です。

 字解きとは「ある文字が他の字と間違えないように説明をつけること」(大辞林)。川・河を「3本ガワ、さんずいのカワ」、島・嶋を「アイランドのシマ、山鳥のシマ」などと区別して言うことです。私が入社した頃はもうほとんど行われていませんでしたが、かつて日本経済新聞社では原稿どおり活字が拾われているか(記事が入力されているか)校閲記者が2人1組となって、「読み合わせ」をしてチェックしていました。ひとりが字解きをしながら紙面が出来上がる前の記事を読み上げ、もうひとりが元の原稿と合っているかを確認するという作業です。

 最近では、電子媒体で文字化けするおそれのある環境依存文字を「●」などに置き換えて字を説明することも「字解き」と呼ぶことがあります。例えば小説家の里見弴を「里見●(ゆみへんに享)」のように表示することです。日経電子版でもこういった表記が見られますので、ご存じの方も多いことでしょう。

 相手に名前を説明する場合、漢字を分解して字解きすることもあるでしょうが、より簡潔に分かりやすく伝える方法としては、著名人の名前を使うのが効果的だと思います。私の場合ですと、子供の頃から約50年間「ハナ肇のハジメです」で通してきました。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーとして知られるハナ肇さん(本名・野々山定夫、1993年死去)。ハナさんが誰だか分からないまま父親に教わったとおり言い続けてきましたが、この10~15年ほど、だんだんと通じなくなってきました。名前の字を尋ねられ「ハナ肇のハジメ」と言っても、相手がポカンとした表情になったり、電話口では沈黙されたりすることが増えてきました。まれに「その世代だから分かりますよ」などと言われると、なんだかほっとします。

 そろそろ「ハナ肇」を〝卒業〟しようと思っていた時、『朝日新聞の用語の手引 新版』(朝日新聞出版)を見ていたら、資料編に「読み合わせの字解き例」があり、「肇」の項には「肇国(ちょうこく)のチョウ」とともに「ハナ肇のハジメ」が載っていました。「これ以上分かりやすい説明はないよなあ」とあらためて納得。ほかに数例を挙げてみますと「広(広島のヒロ)」「弘(弘前のヒロ)」「宏(ウカンムリにナムのヒロ)」などなど。新聞社で長年蓄積された相手に速く正確に伝えるための工夫が見えてきます。

 同書の「字解き例」は2015年刊行の新版からで、近く発売される改訂新版でも引き続き収載されると聞きました。記者がパソコンで記事を作成する現在、新聞社内で字解きをすることは少なくなっていますが、朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部統括デスクの比留間直和さんはその目的を「字解きという技術の継承・記録」だと言います。ハナさんが亡くなって四半世紀が過ぎましたが、字解きの世界では生き続けるということのようですね。

 2017年秋、植木等さんと小松政夫さんの師弟愛を描いたドラマ「植木等とのぼせもん」がNHKで放映されました。当然、ドラマはこの2人を軸に展開されるのですが、名前の縁からかどうしても私は山内圭哉さん演ずるハナ肇さんに注目してしまいました。人情に熱い男、ハナ肇を見て、もうしばらくは「ハナ肇のハジメ」でいこうと決心したものです。

 そんな「肇」がこの3月、突如ニュースとして話題となりました。「キラキラネーム」に悩む山梨県の男子高校生(18)が申し立てていた「王子様」から「肇」への改名を、甲府家裁が許可したという話です。山梨日日新聞の報道によると、新しい名前には「過去の思いを断ち切って新しい人生を始めるとの思いが込められていて、漢字は憧れの経済学者の字を充てた」とのことでした。「ハナ肇ではないのか」と思いつつも、同じ名前である若者の新しい人生の門出にエールを送りたいと思います。

ハナ肇さんの著書とサインの画像

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「肇」を調べよう。

≪参考資料≫

朝日新聞社用語幹事編『朝日新聞の用語の手引 新版』朝日新聞出版、2015年
小池直輝「改名『王子様』を『肇』に 県内高3笑われ記名嫌に…決意『生きやすくなった』」山梨日日新聞2019年3月9日付
小松政夫『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』KADOKAWA、2017年
ハナ肇『あッと驚くリーダー論』主婦と生活社、1985年
比留間直和「チョウコクのチョウって?」朝日新聞デジタル2016年7月13日付

≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。
著書に『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。

≪記事画像≫

・ハナ肇さんの著書とサイン:著者撮影
・まちゃー / PIXTA(ピクスタ)

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