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やっぱり漢字が好き。7 漢字の発音表記と占い

2023.03.01

やっぱり漢字が好き。7 漢字の発音表記と占い

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 今号のコラムは最終的に占いの話に着地する。
 

 日本では漢字の発音を示すのに、ひらがな、カタカナを用いることが多い。これは表音文字を用いて、直接的な表音作用を持ち得ない漢字の音を示しているのである。

 ではひらがなやカタカナのような表音文字を持っていない中華圏でどのように漢字の発音を示しているのかと言うと、現在ではピンインと呼ばれるアルファベットを用いることが多い。たとえば筆者の名前、戸内俊介であれば、“Hùnèi Jùnjiè”と表記する。

 このほか台湾では注音字母と呼ばれる発音表記を用いる。これは古代の篆書(てんしょ)の筆画を簡略化して発音表記に転用したもので、たとえば私の名前は “”と表記される。このほか、現在では使われる機会が減ったが、19世紀イギリスで考案されたウェード式と呼ばれるアルファベット表記もある。

 ピンインは1958年、注音字母は1918年に制定されたもので、いずれも20世紀に入ってからのものである。ではそれ以前に中華圏で漢字の発音をどのように示していたのかというと、「反切(はんせつ)」という方法を採っていた。反切は2~3世紀の後漢時代後期ごろに成立したものと考えられ、20世紀初頭までの1800年間にわたって漢字の発音を示す主要な方法であった。反切は中国のみならず、日本の古辞書にもしばしば見られる。

 ここで反切の発音表記方法を簡単に紹介しよう。反切は「A,BC反」または「A,BC切」という形式で表される表音方法であり、これはAの漢字の発音が、BとCの2つの漢字の組合わせで得られることを示している。Aを反切帰字(はんせつきじ)、Bを反切上字(はんせつじょうじ)、Cを反切下字(はんせつかじ)と言う。たとえば「戸」という字は古代中国の辞書では「侯古切」という反切が与えられている。反切上字である「侯」は反切帰字「戸」の子音(これを中国音韻学では「声母(せいぼ)」と呼ぶ)を表し、反切下字「古」は子音より後ろの部分(これを中国音韻学では「韻母(いんぼ)」と呼ぶ)を表す。「戸」の反切の図式を、それぞれ日本漢字音(音読み)、現代中国語音(ピンイン)、復元された中古音で示すと、次のようになる。

「戸」 ko(音読み)         ←「侯」kou  + 「古」ko

    hù(ピンイン)        ←「侯」hóu  + 「古」gǔ

    ɦo(復元された※中古音) ←「侯」ɦəu + 「古」ko

※「中古音」とは狭義には、中国の六朝後期~隋代(600年前後)の漢字音を指す。またɦoの「上」は当時の声調(「平、上、去、入」の4種類)を示したものである。

 いずれの場合でも、「戸」の発音は「侯」の声母(赤字の部分)と「古」の韻母(青字の部分)を組み合わせることによって導き出されるのである(なお、ピンインによる反切帰字の声調が第4声「ˋ」であるのに対し、反切下字の声調が第3声「ˇ」であり、両者は一致していない。これは、漢字の発音が歴史とともに変化したためである)。

 さて、この反切の原理は古代中国において神秘的なものと認識されたようで、占いにも利用された。たとえば南朝宋(420~479年)の明帝が、「袁愍(えんみん)」という人物の名前を不吉だとして、「袁粲(えんさん)」に改名させたというエピソードが中国の歴史書『南史』(列伝第十六)に見えるが、これは反切占いを契機としたものである。どういうことかというと、姓「袁」を反切上字、名「愍」を反切下字として得られる反切帰字が「死ぬ、枯れ落ちる」を意味する「殞(いん)」であり、反対に名「愍」を反切上字、姓「袁」を反切下字として得られる反切帰字が「門」であり、この2つの字を合わせると「殞門」となり、「一門を没落させる」という不吉な意味に解釈される、というのである。つまり2文字の姓名から得られる反切帰字が不吉だとして、避けられたということである。この占いの原理は、実のところ、姓や名が2文字の漢字よりなる日本人の名前にも転用できる。

 さて私はそもそも占いにさしたる興味も持っていないので、この反切占いを自分の名前で試そうとはつゆほども思わなかったのだが、何を思ったか知人が勝手にこの吉凶占いを私の名前で試し、挙句の果てに「お前の姓を反切にすると『潰(かい)』になる」と結果だけを指摘してきた。実に唐突である。「戸」を反切上字、「内」を反切下字とすると、「潰」という反切帰字が得られるというのである。「潰」は「つぶれる、ついえる」という意味。さらに「内」を反切上字、「戸」を反切下字にすると今度は「怒」という漢字が得られる。実は「潰」には「怒っている様」という意味もあり、したがって「潰」であり「怒」であるというのは、四六時中何かに腹を立てているかのようで、それはまるで超人ハルクの如きである(いや、思い返してみれば、私を除いて私の親族は割と短気な人が多い。そう考えてみると、反切占いは案外、馬鹿にはできないのかもしれない)。

 2字の漢字から反切帰字を得るのには一定の知識が必要であるため、この占いは誰にでもすぐに試せるものではないが、興味のある方は下記《参考資料》などを手がかりに中国音韻学の基礎を学習した上で試して欲しい。具体的な反切占いの手順は煩雑になるので今回は省略したが、もし要望があれば、再びこのコラムで取り上げることもやぶさかではない。

 なお、反切帰字を得られない(反切上字と反切下字から得られる発音を持つ漢字がない)場合も多いので、姓や名が2文字の漢字よりなる日本人がみなこの占いをできるわけではない。

≪参考資料≫

大島正二『中国語の歴史』、大修館書店、2003年
中村雅之『中古音のはなし』、古代文字資料館、2007年
平山久雄「中古漢語の音韻」、『中国文化叢書1 言語』、大修館書店、1967年

≪おすすめ記事≫

あつじ所長の漢字漫談48 韋編三絶 はこちら
四字熟語根掘り葉掘り52:「一陽来復」と諸葛孔明の智謀 はこちら

≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
二松学舎大学教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

≪記事画像≫

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