歴史・文化

やっぱり漢字が好き18 輸=シュ?/ユ?、洗=セイ?/セン?——「百姓読み」あれこれ(上)——

やっぱり漢字が好き18  輸=シュ?/ユ?、洗=セイ?/セン?——「百姓読み」あれこれ(上)——

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
 「百姓読み」とは誤読に基づいて定着した漢字の音読みである。「輸」を「ユ」と読んだり、「洗」を「セン」と読んだりするのがこれにあたる。実のところ、「輸」は本来「シュ」と発音し、「洗」は「セイ」と発音する漢字である。

 「えっ、輸入とか洗濯機とかを、誰も『シュニュウ』だの『セイタッキ』とは言わないでしょ!」といぶかる方もいらっしゃるかもしれない。おっしゃる通りなのだが、「輸(ユ)」、「洗(セン)」は辞書上では規範的な音読みではなく、慣用音に分類される。なお「百姓」を冠しているのは、知識・教養のない大衆、といった意味合いである。

 さて今号と次号では、日本で広く定着しているこの百姓読みについて取り上げたいのだが、百姓読みという誤読を生じさせる原因を説明するために、さしあたり漢字の造字法についてあらましを紹介したい。

 伝統的に漢字には4種の造字法があったとされる。「象形、指事、会意、形声」である。このうち、百姓読みと大きく関わるのは形声文字である。形声文字とは、「義符」と呼ばれる、字の意味分類を表す部品と、「声符」と呼ばれる、字の音を表す部品とを、それぞれ一つ以上組み合わせた文字であり、たとえば、「語」という漢字で言えば、「言」(ごんべん)が字の意味分類を表す義符で、「吾」(音読み:ゴ)が字の音を表す声符である。形声文字にはこのほかにも、「清」、「功」、「伯」、「銘」など多数ある。いずれの文字も「青」、「工」、「白」、「名」が音を示す声符である。

 形声文字は現代の漢字全体の8割から9割を占めると言われており、そのため、漢字を子供の頃から繰り返し学んだ日本人は、見慣れない漢字に出くわすと無意識に漢字の部品(声符)を手がかりにその字音を推測しようとする癖がついている。

 たとえば、「諪」と書かれた漢字を見たとしよう。多くの人にとっては見慣れぬ漢字で、その意味は押し測れないであろうが、一方でその発音については、「亭」という部品を手がかりに、「テイ」に当たりをつけるのではないだろうか。実際にこの字は漢音で「テイ」と発音し、その推測は間違っていない。

 ところが全ての形声文字が、声符と同じ発音となるわけではない。例えば、「落」(ラク)は「各」(カク)が声符だからといって「カク」と読むわけではないし、「特」(トク)は「寺」(ジ)が声符だからと言って「ジ」と読むわけではない。

 ここに百姓読みが生み出される土壌がある。「落」や「特」などの漢字を用いた熟語はおそらく早くから庶民の話し言葉として定着し、また「落」や「特」自体も比較的常用の漢字であったことから、これらを「カク」、「ジ」と読むような百姓読みは起こらなかった。ところが、「輸」や「洗」を用いた「輸出、輸入」や「洗濯、洗面」といった熟語は比較的新しい単語で、話し言葉より先に書き言葉として社会に定着した。それを話し言葉として口頭で発音する際、「輸」の声符「兪」(またはそれを声符とした「喩」や「愉」)と「洗」の声符「先」がそれぞれ「ユ」、「セン」と読むことの類推から、「輸」=ユ、「洗」=センという百姓読みが定着したと考えられる。

 なお、室町時代以前の文献では、「輸」は「シュ」と言う発音が普通であったようであるが、幕末に編纂されたヘボンの『和英語林集成』には、YU-NYŪ(輸入)、YU-SHUTSU(輸出)、YUSŌ(輸送)などの語が見える。このことから「輸」に「ユ」の音が一般化したのは、江戸時代以降、明治の頃からと考えられる(中田1982)。

 中国語では「輸」も「洗」もそれぞれ“shū”(シュウ)、“xǐ”(シィ)と発音され、ともに規範的字音を反映しており、百姓読みの発音ではない(アルファベットはピンインと呼ばれる、中華人民共和国で用いられる漢字の発音表記であり、その後ろの括弧はピンインが表す音を便宜的にカタカナに置き換えたものである)。

 百姓読みの例にはこのほかに、「消耗」(規範音:ショウコウ、慣用音:ショウモウ)、「攪拌」(規範音:コウハン、慣用音:カクハン)、「口腔」(規範音:コウコウ、慣用音:コウクウ)などがある。

 それでは、百姓読みと同じような現象は中国にもあるのであろうか。中国は日本とは異なり、文字は基本的に漢字のみであり、漢字に対する知識は日本の人々よりも多いはずである。また上で述べた通り、少なくとも「輸」や「洗」は中国では百姓読みされておらず、規範的字音に基づいている。この点を踏まえ次号では、漢字の本国である中国で百姓読みのような誤読現象が起こりうるのかどうかについて考えてみたい。

(つづく)

次回、やっぱり漢字が好き第19回は3月1日(金)に公開予定です。

≪参考資料≫

高島俊男『お言葉ですが…別巻5 漢字の「慣用音」って何だろう?』、連合出版、2012年
中田祝夫『日本語の世界4 日本の漢字』、中央公論社、1982年

≪おすすめ記事≫

・やっぱり漢字が好き11 時には野球の話を① 変化球の呼び方(上)はこちら
・やっぱり漢字が好き16 干支「辰」の字源について——併せて2023年「今年の漢字」の予想—— はこちら

≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

記事を共有する