歴史・文化

やっぱり漢字が好き11 時には野球の話を① 変化球の呼び方(上)

やっぱり漢字が好き11 時には野球の話を① 変化球の呼び方(上)

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 野球の話をしたくなった。これまで本コラムがやや硬い内容であったとの反省にもよる。今号は趣味に走りたい。

 プロ野球のペナントレースも中盤を迎え、7月19日と20日にはオールスターゲームが開催される。今年は3月にWBCが開催され、大谷翔平選手や吉田正尚選手などを中心に見事に優勝を勝ち取ったのは記憶に新しい。来月には夏の甲子園が控えている。

 今号では野球で用いられる「ことば」に注目してみたい。野球用語は基本的に英語に由来する。日本ではそれを、一部は日本語(または漢語)に「意訳」し、また一部は英語の発音に近いカタカナを当てて「音訳」し使用している。前者は例えば、「野手」、「外野」、「三振」など、後者は「ヒット」、「ホームラン」、「アウト」など。ただし、後者にも日本語訳が用意されている場合がある。例えば「ヒット=安打」、「ホームラン=本塁打」などである。このほか、「ランニングホームラン」、「ナイター」などの和製英語も多い。

 一方、変化球の名称はすべてカタカナで音訳され、意訳されているものはない。たとえば、「カーブ」、「スライダー」、「フォーク」、「シンカー」など。球種のうち日本語に意訳されているものは、「直球」(または「まっすぐ」)くらいであろうか(このほか「魔球」という単語もあるが、現在特定の変化球を指さないので除外)。

 野球は台湾でも人気が高い。“中華職業棒球大聯盟”(台湾プロ野球リーグ)というプロ野球リーグがあり、現在6つのチームが加盟している。“職業”は「プロ」を、“棒球”は「野球」を、“聯盟”は「リーグ」を意味する。台湾の代表チームは今年のWBCにも出場した。

 ところで、日本の仮名文字(ひらがな、カタカナ)は音を分析的に示す表音文字であり、外来語、特に英語をはじめとした欧米の単語を受容する際、我々は外来語の音を自らの言語の発音体系に沿うように調整しつつ、仮名文字(多くはカタカナ)で転写する。

 一方、台湾や中国といった中国語圏は、漢字が主体で、仮名文字のような表音文字体系を持っていない。漢字は表語文字と呼ばれ、音と意味が結合した「語」を単位とした文字体系であり、一文字一文字が口頭言語の音そのものを分析的に示していない。そのため、中国語圏では外来語の音訳が日本ほど自由ではない。それでは台湾野球は英語由来の野球用語をどのように受け入れているのだろうか。以下、日本語ですべてがカタカナで表記される変化球を取り上げ、台湾での受容のされ方について見てみたい。扱う変化球は「カーブ」、「スライダー」、「フォーク」、「カットボール」、「シンカー」である。

 まず、「カーブ」は“曲球”(qǔqiú/チュィチウ)と呼ばれる。なおカッコ内のアルファベットは、ピンインと呼ばれる、中華人民共和国で用いられる漢字の発音表記である。カタカナは平凡社「中国語音節表記ガイドライン」の「(β)語学教育向け表記ガイドライン」に基づくピンインのカタカナ表記である。さて、カーブは英語では“curveball”(カーブボール)と呼ばれており、“曲球”はその意訳である。

 「スライダー」は“滑球”(huáqiú/ホアチウ)と呼ばれる。英語では“slider”(スライダー)である。“slide”とは「滑る」という意味であり、滑るように横向きに変化する球種が“slider”である。“滑球”はまさに“slider”=「滑る(ように変化する)球」の意訳である。

 今号はひとまずここまでとしたい。次号では残る「フォーク」、「カットボール」、「シンカー」の台湾での翻訳のされ方について見てみることとする。

(つづく)

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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