土用の丑の日と「丑」の字源【下】|やっぱり漢字が好き24
著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
先日(7月24日)、2024年夏の第1回目の土用の丑の日を迎えたが、それにちなんで本コラムでは前号から「丑」の字源を取り上げている。今号では「丑」の字源について諸説を紹介する。
まず、殷代甲骨文から後漢までの「丑」字の一覧をご覧いただきたい。
表1 「丑」の字形一覧(『説文新證』による)
「丑」の字源として、比較的広く唱えられている説に「指先を曲げてものをつかむさまの象形」というのがある。白川静『字統』をはじめ、『漢字源』『新漢語林』『新字源』でも採用されている。甲骨文で手の象形が「」と書かれることから、表1に掲げられた1~4などは、確かに手で物をつかむ形に見える。
一方で、近年は異なる説も提示されている。表1の多くの字が、「」の三叉の先端に「何か」が加えられた形をしている。「」は手の象形で楷書の「又」字に該当するが、その先端に加えられた「何か」を手の爪と見なし、「丑」字を手の先端の爪を象った象形文字と解釈する古文字学者も少なくない。特に表1の5・6・9の字は忠実に爪を描いており、これらの字形をより原始的な形と見なす。
さて、「㕚」(ソウ)という漢字がある。小篆では「」と書き、『説文解字』で「㕚,手足甲也」〔㕚は手足の爪である〕と解釈される。実のところ、表1の5・6・9諸字は厳密に言えば、「丑」ではなくこの「(㕚)」に相当すると見なす研究者もいる。このとき「丑」の原始的な字形は表1の5・6・9のように、「又」の先端に爪を描いた象形文字で、その本来の意味は「手の爪」であったが、のちこの爪を表す部品が「又」の部分から分離して2つの点となり(たとえば表1の18や19、また小篆の「」)、これが楷書で「㕚」となったと考える。
このほか「㕚」の手の先端に加えられた筆画が「又」から分離せずに、1本の縦画に簡略化されたものもある。たとえば、上の表1の7・15・16・17・20などがこれに当たる。これらは「丑」の小篆の「」、さらには楷書の「丑」に直接つながる字形である。
つまり「手の爪」の象形であった5・6・9は、一方では「㕚」字へと発展し、もう一方では簡略化を経て、爪を意味する「㕚」字から分化しつつ、十二支「丑」を表す独立した文字となったということである。
「㕚」を本来の意味、つまり爪の意味で用いた例は西周時代の金文に見られる。師克盨と名付けられた青銅器には、次の図1のような文字が現れる。
図1 師克盨「㕚牙」(『殷周金文集成』4467)
1文字目は「(又)」の先端に爪が描かれた文字で、まさに「㕚」に該当し、2文字目は「牙」。併せて「爪と牙」。
一方、下の図2の作冊大鼎という青銅器では、日付を表す「己丑」に同じ字が用いられている(2文字目)。作冊大鼎も図1の師克盨と同様、西周時代のものである。
図2 作冊大鼎「己丑」(『殷周金文集成』2759)
これらの例は、西周金文で「㕚」字が爪を意味する文字としても、また十二支「丑」を表す文字としても用いられていたということを示している。
「丑」と「㕚」がもともと一字で、のちに分化したとするこの説は確かに、上の金文の例から見れば一定の説得力を持つ。しかし難点もある。それは「丑」と「㕚」の上古音(周代から漢代の漢字音)、特に音節頭の子音が近いことを積極的に示す言語学的証拠が目下のところないことである。例えば、Baxter and Sagart 2014は「丑」を*[n̥]ruʔ、「㕚」を*[ts]ˤ<r>uʔと復元する(前者の子音は鼻音、後者の子音は破擦音で、互いに異なる発音である)。Baxter and Sagart 2014の表記で[ ]の括弧は、その復元音が不確かであることを示しているため、上の復元音は必ずしも確度が高いものではないが、とは言えもし「丑」と「㕚」の発音がかけ離れているとなると、そもそも両字が同一の文字から分化したという解釈も再考を迫られることになる。さらに表1の2・3・4の「丑」は、その字形を見るに、爪が強調された形であるとは必ずしも断言できない。
以上、「丑」字の由来について2つの学説を紹介したが、ずばりこれだ、という解答を示すのは難しい。ただこれはすべての漢字の字源研究に共通する難しさである。日本ではしばしば多くの漢字の字源や成り立ちが等しく判明しているかのような体で紹介されるが、実のところわからないこともまだまだ多く、またすでに公認となっているような解釈でも、新たな出土文字資料の発見によって塗り替えられる可能性も少なくない。
次回「やっぱり漢字が好き25」は8月9日(金)公開予定です。
≪参考資料≫
葛亮『漢字再発現』、上海書画出版社、2022年
季旭昇『説文新證』、芸文印書館、2014年
中国社会科学院考古研究所編『殷周金文集成』第1冊-第18冊、中華書局、1984年-1990年
William H. Baxter (白一平) and Laurent Sagart (沙加爾). Baxter-Sagart Old Chinese reconstruction, version 1.1. https://ocbaxtersagart.lsait.lsa.umich.edu/. 2014
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。