新聞漢字あれこれ155 「一段落」をどう読むか

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
「仕事が一段落したのでコーヒーでも飲みに行きましょうか」――。こういった場合の「一段落」を皆さんは「いちだんらく」と「ひとだんらく」のどちらで読みますか。
どちらが望ましい読み方かと尋ねられたら、用字用語の担当者としては「いちだんらく」と答えます。「段落」は音読みをする漢語なので、訓読みの「ひと」ではなく音読みの「いち」と組み合わせるのが妥当でしょう。『放送で気になる言葉 2011』(日本新聞協会)では標準的な読み、『NHK 日本語発音アクセント新辞典』(NHK出版)でも放送で使う読み方として「いちだんらく」を掲載しています。
ところが現在では「ひとだんらく」と読む人が増えているようです。少し古い調査になりますが、文化庁の「国語に関する世論調査」(2011年度)では、本来の読み方とされる「いちだんらく」と読む人が53.9%、「ひとだんらく」が37.5%という結果でした。全体では「いちだんらく」が多いのですが、30代以下は6割以上が「ひとだんらく」と読み、若い世代に限ってみれば「ひとだんらく」派が主流のようです。
こうした影響か、国語辞典での「一段落」の取り扱い方もかなり変わってきました。前述の『放送で気になる言葉 2011』によれば、見出し語に「ひとだんらく」を挙げている国語辞典は当時なく、『集英社国語辞典』(第2版、2000年)だけが「いちだんらく」の項に「『ひとだんらく』ともいう」と注記しているとのこと。それが、常用漢字表が改定された2010年以降に刊行(改訂)した主な国語辞典17種を見ると、いずれも空見出し(※)ですが、「ひとだんらく」を見出し語にしているものが8種ありました。『集英社国語辞典』のように注記で触れたものを加えると、7割の12種が「ひとだんらく」に言及しています。なかには「誤り」とする『岩波国語辞典』などもありますが、「ひとだんらく」が誤用から慣用へと認められつつある読み方であることがうかがえます。
ではなぜ、「ひとだんらく」の読み方が広がったのか。「一段落」の意味は「一区切りをつける」ことなので、「ひとくぎり」の「ひと」に影響されたのかもしれません。また、「一安心」「一苦労」のように漢語に結び付く「ひと」もあります。実は私も以前は「ひとだんらく」派でした。現在の仕事をするようになって「標準的な読み方は『いちだんらく』」ということで、修正したしだいです。
標準的な読み方を「いちだんらく」とする放送とは異なり、新聞では「一段落」と表記して読者が「ひとだんらく」と読んだとしても不都合なことはありません。実際、記者端末では「ひとだんらく」で入力しても「一段落」に変換します。ただ、校閲をしているとたまに「ひと段落」と記事に書いてくる記者がいるのが気になるところです。もちろん「一段落」に直すようにはしていますが、これはどうしてなのか。
学校教科書の中には接辞表記の工夫として、「一」と書く「いち」(漢語)と「ひと」(和語)について、「いち」は漢字、「ひと」は仮名で書く方針をとっているところがあるのだそうです。「一段落」を「ひとだんらく」と読むものと思い込んでいる人が、教科書表記の類推から「ひと段落」と書いているとも考えられます。教科書表記に詳しい中川秀太・日本語検定委員会問題作成委員は「義務教育の中で『一段落』を語形に注意の要る語として取り上げるようにすれば、『ひとだんらく』が下火になる可能性もある」と話します。
「いち」と「ひと」のどちらで読むにしても、新聞は「一段落」を標準的な表記とし、「ひと段落」と書く記者がいたならば、「一段落」に直すというのが現状での対応になります。
※空見出し 辞書で、見出しとして出しているが解説をしていない項目。から項目。(大辞林第四版から)
次回、新聞漢字あれこれ第156回は11月6日(水)に公開予定です。
≪参考資料≫
中川秀太「教科書と放送における標準表記の比較」『青山語文』50号、青山学院大学日本文学会、2020年
山下洋子「語形の検討~「ゆれのある語」を『新辞典』にどう掲載するか~」『放送研究と調査』2017年2月号、NHK出版、2017年
NHK放送文化研究所『NHK ことばのハンドブック 第2版』日本放送出版協会、2005年
NHK放送文化研究所『NHK 日本語発音アクセント新辞典』NHK出版、2016年
新聞用語懇談会放送分科会『放送で気になる言葉 2011』日本新聞協会、2011年
関根健一『なぜなに日本語 もっと』三省堂、2019年
文化庁文化部国語課『平成23年度 国語に関する世論調査』2012年
≪参考リンク≫
「日経校閲X」 はこちら
漢字ペディアで「一段落」を調べよう
≪おすすめ記事≫
新聞漢字あれこれ82 誤読で起こるミスいろいろ はこちら
やっぱり漢字が好き18 輸=シュ?/ユ?、洗=セイ?/セン?——「百姓読み」あれこれ(上)—— はこちら
≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。