歴史・文化

古代中国では「寒い」ではなく「滄(さむ)い」だった? |やっぱり漢字が好き32

古代中国では「寒い」ではなく「滄(さむ)い」だった? |やっぱり漢字が好き32

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 近ごろ少しずつ寒くなってきた。暦の上ではもう寒露(2024年は10月8日)を過ぎた。冬の訪れを感じる。これからさらに、小寒(2025年1月5日)、大寒(2025年1月20日)が待ち構えている。

 こんな季節だからこそ、「寒」に関わる漢字についてとりあげたい。とは言え、「寒」の字源や成り立ちを紹介してお茶を濁すのではない。中国戦国時代(前5世紀~前221年)の楚国の竹簡(これを楚簡と呼ぶ)では、{寒}という語を表すのに「寒」字とは異なる「滄」「倉」「蒼」字を用いることがあった(以下、文字は「 」で示し、文字が表す語は{ }で示す)。今号では漢字のこのちょっと不思議な現象について紹介する。

 次の(1)(2)は「滄」字が{寒}を表す例である。ともに「倉」の下に「水(=氵)」を置いた字形である。

 (1) 滄{寒}而毋会。〔飢えや寒さの時期には会合してはいけない。〕

上博楚簡、従政、滄、寒(上博楚簡『従政・甲本』19号簡)

 (2) 晋冬(祁)滄{寒},小民亦惟曰怨。〔冬になると酷寒で、庶民はまた日々怨みを持つ。〕

各店楚簡、緇衣、滄、寒(郭店楚簡『緇衣』10号簡)

 なぜ「滄」字で{寒}を表せるのかというと、「滄」と「寒」が同じ意味であることによる。実際、後漢の字書『説文解字』に「滄,寒也」とある。「滄」(漢音:ソウ、上古音:*tshâŋ)という字に対し、意味の同じ「寒」(漢音:カン、上古音:*gân)の音を当てているのである。つまり「滄(ソウ→カン)」と読み替えている。これは簡単に言えば、ある漢字に対し、意味の同じ別の漢字の発音を当てる読み替え現象で、「訓読」或いは「義通換読」(=意味が通じるから読み替える)などと称される。

 この読み替えは、日本が漢字を受け入れた際に外来の「山」(サン)という字に{やま}という和語を割り当て、「人」(ジン)という字に{ひと}という和語を割り当てるのに似ている。訓読は日本の書記言語の中に頻繁にみられる現象で、漢字の訓読みや、「梅雨」{つゆ}「七夕」{たなばた}のような熟字訓は無論のこと、「X」と書いて{ツイッター}と読むようなものもまた訓読に該当する。現代でも訓読は絶えず生み出され、一握りのものが書記言語の中で生き残るのである。

 ところで「滄」と「寒」が同じ意味であるならば、上の(1)(2)の「滄」はわざわざ読み替えをせずとも良いのではないか、と考える方もいるかもしれない。しかし、あれほど膨大な量を誇る古代中国の文献の中に「飢寒」「祁寒」という熟語はあっても、「飢滄」「祁滄」という熟語は見られない。さらに次の例は、「滄」を{寒}(カン)と読まなければならないことを確実に示している。

 (3) 王滄{寒→汗}。〔王の汗が帯にまで至った。〕

上博楚簡、柬大王泊旱、滄、寒(上博楚簡『柬大王泊旱』1号簡)

 「滄(寒→汗)」は、「滄」が訓読によって同義の{寒}に読み替えられ、さらに{寒}が字音の近い{汗}(漢音:カン、上古音:*gâns)という語に仮借(発音の近接性を媒介とした読み替え。当て字)されたことを示している。つまり「滄→寒→汗」の2段階の読み替えである。「滄」を{汗}に読むためは、間に「滄→寒」の訓読を媒介させなければ不可能である。

 楚簡では「滄」のみならず「倉」を声符とする文字も{寒}に読まれる。たとえば、

 (4) 四時復相輔,是以成倉{寒}熱。〔四季はさらに互いに補佐し合い、寒さ暑さを生じる。〕

郭店楚簡、太一生水、倉、寒(郭店楚簡『太一生水』第2号簡)

 (5) 撃鼓,禹必速出。冬不敢以蒼{寒}辞,夏不敢以暑辞。〔太鼓を打ち鳴らすと、禹はすぐに出てきた。冬には寒いからといって断ることはせず、夏には暑いからと言って断ることはしない。〕

上博楚簡、容成氏、蒼、寒(上博楚簡『容成氏』22号簡)

 「倉」字と「蒼」字自体には「寒い」という意味はないが、当時の楚国の書写習慣として、「滄」と声符(発音を表すパーツ)が同じ「倉」「蒼」もまた、{寒}(漢音:カン、上古音:*gân)という発音を持っていたと考えられる(ただし楚簡に見える「滄」を{寒}と読み替える訓読に対し否定的な見解を持つ研究者もおり、議論はなお続いている)。なお「滄→寒」の訓読は主に戦国時代の楚の文献で見られる現象である。そのため秦が天下を統一したのち、このような文字運用現象は姿を消すこととなった。

 楚簡をはじめとした中国の古文字資料には、「滄→寒」以外にも訓読とおぼしき現象が見られる。過去の研究でも、漢字間の訓読現象があることは指摘されてきたが、この四半世紀にわたる楚簡の大量の発見とその研究の進展によって、古代中国において訓読が相当に一般的な文字運用現象であることがわかってきた。なお漢字の訓読現象に関しては、筆者は『中国語学辞典』(岩波書店、2002年)の中で「訓読」という項目の執筆を担当した。興味のある方はそちらもご参照いただきたい。

次回「やっぱり漢字が好き33」は11月29日(金)公開予定です。

≪参考資料≫

日本中国語学会『中国語学辞典』、岩波書店、2022年
宮本徹・大西克也『アジアと漢字文化』、放送大学教育振興会、2009年
郭永秉「従戦国文字所見的類“倉”形“寒”字論古文献中表“寒”義的“滄/凔”是転写誤釈的産物」、『出土文献与古文字研究』第6輯、2014年
荊門市博物館『郭店楚墓竹簡』、文物出版社、1998年
陳剣「上博竹書《昭王與龔之脽》和《柬大王泊旱》読後記」、『簡帛研究網站』(http://www.jianbo.sdu.edu.cn/info/1011/1667.htm)、2005年2月15日
陳斯鵬『楚系簡帛中字形与音義関係研究』、中国社会科学出版社、2011年
馬承源主編『上海博物館蔵戦国楚竹書』(1)-(9)、上海古籍出版社、2001-2012年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「寒」を調べよう
漢字ペディアで「滄」を調べよう

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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