「夏」字の成り立ちと展開【下】|やっぱり漢字が好き65
著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
前号では、「夏」字の成り立ちを、甲骨文から時代を下りつつ俯瞰した。「夏」は古くはその文字の中に「日」という構成要素を含んでいたが、戦国時代以降の秦では「日」を省く字体が普及していた。現在の我々が「日」を含まない「夏」字を用いているのは秦の「夏」を受け継いだ結果である。以上が前号のあらましである。今号では戦国時代に見える、もう1つの系統の「夏」字を紹介したい。
「日」を含まない「夏」は専ら戦国時代の西方に位置する秦のみで行われ、東方の六国(楚斉燕趙魏韓)では、全く異なる字体が通行していた。東方の六国の文字は「六国文字」と総称される。六国文字の「夏」は字体が極めて多様であった。次の図7から12はいずれも東方六国の「夏」である(下で引用した例は特に楚の文字が多い)
(7)「夏」戦国時代中後期 東方六国

図7 「
(夏)」(清華簡『筮法』31号簡)

図8 「
(夏)」(鄂君啓車節:『集成』12110)

図9 「
(夏)」(清華簡『芮良夫毖』8号簡)

図10「
(夏)」(![]()
鐘:商志
・唐鈺明1989)

図11「
(夏)」(清華簡『湯處於湯丘』12号簡)

図12「
(夏)」(清華簡『湯処於湯丘』14号簡)
煩雑になるのでそれぞれの字体に関する詳細は省くが、図7から12の「夏」は、いずれも「日」を含んでいるという点で共通している。秦系文字が一律、「日」を省いたのとは対照的である。六国文字の方が子どもの直感に即しているようにも感じる。なお六国文字の「夏」の中にはsummerを表す用例が散見される。漢字史上で「春夏秋冬」の文字が揃い踏みするのは、戦国時代が最初である。
秦系文字は有り体に言えば、「勝者の文字」である。戦国時代、秦は六国を滅ぼし天下を統一し、自国の文字体系を普及させた。続く漢も秦の文字体系を継承した。漢という巨大王朝が秦の漢字体系を採用したことが、その後2000年間の漢字の有り様を決定づけた。現在我々が用いている漢字体系はまさに漢に遡ることができ、そしてそれは秦系文字に由来する。これが現在の「夏」字に「日」が含まれていない理由である。
一方で、六国文字は、秦に滅ぼされた「敗者の文字」であり、秦の天下統一とともにその多くが表舞台から退いた。それゆえ上の図7から12の「夏」字はいずれも世の中から姿を消し、現在には伝わっていない。
今号と前号で紹介した「夏」字は、多くが人名や地名、王朝名であって、summerの意味で用いられた例は、戦国時代の六国文字が最初である。戦国時代より前に「夏」という季節がなかったとも思えないのだが、資料としては出てきていない(さらに前号で指摘したように、『説文解字』の「夏」をsummerの意味とは解釈していない)。なお、歴史上、殷王朝より前に夏王朝があったとも言われるが、なぜ「夏」と称されるのかという点について、葛亮(2022)は、太陽の真下に居住していると自認している集団が自分たちの住む場所を「夏」と自称したためである、と推定する。
以上、2回にわたり「夏」字の成り立ちと展開について紹介した。子どものころの、「夏」こそ「日」がついていても良いんじゃないかという直感は必ずしも間違いではなかったことがわかる。現在の「夏」が「日」を含んでいないのは、春秋戦国時代の秦の人々にその原因を求めることができるのである。
次回「やっぱり漢字が好き66」は7月6日(月)公開予定です。
≪参考資料≫
葛亮『漢字再発現』、上海書画出版社、2022年
魏宜輝「試析楚簡文字中的“
”“
”字」、『江漢考古』2002年第2期
商志
・唐鈺明「江蘇丹徒背山頂春秋墓出土鐘鼎銘文釈証」、『文物』1989年第4期
孫合肥「清華簡“夏”字補説」、『簡帛研究二〇一七(秋冬巻)』、広西師範大学出版社、2018年
趙平安「談談戦国文字中値得注意的一些現象――以清華簡《厚父》為例」、『出土文献与小文字研究』第6輯、上海古籍出版社、2015年
劉釗「《金文編》付録存疑字考釈(十篇)」、『人文雑誌』1995年第2期
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。