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「後素(こうそ)」に見る白色のイメージ 【漢検1級で出題された熟語を解説! 10】

「後素(こうそ)」に見る白色のイメージ  【漢検1級で出題された熟語を解説! 10】

著者:伊藤令子(漢字文化研究所研究員)

 

 漢検最難関の1級では、約6,000字の対象漢字の中からさまざまな熟語が出題されます。中には、漢字そのものは知っていても、複雑な読み方やその言葉の意味を知らないと答えられない問題も。
 このコラムでは、実際に過去に漢検1級で出題された熟語を漢字文化研究所の専門家が、その背景なども詳しく解説します!

1)後ろの素?「後素」の「素」とは?

 漢検1級の過去問に、「後素」という熟語が出てきます。難問らしく、一見してもその意味が測りかねる言葉です。「後素」とは絵画に関わる語で、古くは「絵を描く際に、最後に白色を加えて仕上げること」と解釈されました。またそこから派生して、「絵画」そのものを意味する場合もあります。
 「後素」のどこから「白色」が出てくるのかと思われるかもしれませんが、実は「素」とは白色のことを意味します。
 後漢の許慎がまとめた字書『説文解せつもんかい』では、「素」を「白致繒也(白くきめ細やかな絹である)」と説明しており、もとは白い絹の意味でした。そこから派生し、「白色」を表すようになったようです*1。

2)「後素」の出典は『論語』

 さて「素」が白色を表すことはわかりましたが、では「後素」とはどこから来た言葉なのでしょうか? その出典はなんと『論語』です。
 『論語』は、孔子やその弟子たちの言葉や行いなどを記した書で、「後素」は、その巻3「八佾はちいつ」の、孔子と弟子・子夏とのやりとりに登場します。

子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也。子曰、繪事後素。曰、禮後乎。子曰、起予者商也、始可與言詩巳矣。
(子夏がこのようにたずねた。「「笑顔が愛らしく、目元は白目と黒目がはっきりとして美しく、おしろいをぬってより華やかになる」、この『きょう』 *2 の詩の一節はどのような意味でしょうか?」と。孔子は答えた、「絵を描くときは、最後に素(白い絵の具)を加えるものだ。」子夏が「礼もまた、後に身につけるものですね」と言うと、孔子は「私を触発してくれるのは商(子夏のこと)である、初めてともに『詩経』について語り合うことができた」といった。)


 孔子の言葉から、弟子の子夏が礼について気づきを得たという内容です。ただしこのやりとりだけでは、絵画にとっての「素(白色)」、そして人間にとっての「礼」が、どのような関係にあるのかは明確ではありません。
 上記の訳文は、「後素」を、「素を後にする」と読み、さまざまな色を重ねたあと、最後の仕上げとして、白色を用いると解釈した際の訳になります。そのため「礼」もまた、人間のふるまいを整える最後の仕上げとみなすことになります。
 一方、これとは異なる「後素」と「礼」の解釈がなされる場合もありました。その代表的な人物が、朱子学で知られる南宋のしゅです。

3)解釈の分かれる「後素」*3

 儒教の重要な経典である『論語』は、古来さまざまな知識人によって、注釈が施されてきました。その長い注釈の歴史のなかには、およそ唐代までの注釈を指す「古注」と、宋代以降、それとは異なる解釈を探究した「新注」とがありました。
 『論語』の古注を代表する注釈書が、三国時代のあん編『ろん集解しっかい』です。一方、新注の代表となっているのが、朱熹の『ろんしっちゅう』です*4。
 まず何晏は、さきほどの孔子と子夏との対話に登場する「後素」に次のように注を付しました。

鄭玄曰、繪、畫文也。凡繪畫、先布眾色、然後以素分其間、以成其文。喩美女雖有倩盼美質、亦須禮以成之。
(鄭玄*5 は「絵とは、文(いろどり)を描くことである」という。およそ絵を描く際には、まずさまざまな色を塗り付けてから、その後白色をそれらの間に配して、その文を完成させる。孔子は美しい女性には倩・盼(美しい口元や目元)といった生まれつきの美が備わっていても、なお礼をもってその美が完成すると喩えたのである。)


 つまり、古注は「後素」を「素を後にする」と読んでいます。(前節の論語の和訳はひとまず、この古注の読み方に従っています。)
 それに対し、朱熹は、「後素」を「素より後にする」と読み、「素(白色)」の役割について、古注とは逆の解釈をします。

繪事、繪畫之事也。後素、後於素也。考工記曰、繪畫之事、後素功。謂先以粉地為質、而後施五采、猶人有美質、然後可加文飾。
(「絵事」とは、絵を描くことである。「後素」とは、素(白い色)より後に行うということである。『考工記』*6 には、「絵を描くのは、白い下地を作った後に行う」とある。まず白粉はくふんで下地を作り、その後さまざまな色を施すというのは、人には生まれつきの美しい性質があり、その後に礼による装飾が加えられるということである。)

 
 古注と新注の最も大きな違いが、「素(白色)」の捉え方です。前者は、「素」を絵画の仕上げとして捉え、人間の美を完成させる「礼」のようなものとみなします。他方、後者は「素」を、絵画の下地であり、人間に生まれつき備わった美しい性質であると捉え、その上に「礼」による装飾、すなわちさまざまな色彩がのせられると考えています。

 現代的な感覚からいえば、新注のように、白を下地の色と捉えたほうが馴染みやすいように思われます。しかし古注のような発想が長らくあったということは、かつては白色を絵の仕上げとして用いる描き方が珍しくはなかったのかもしれません。



次回は8月12日(水)に公開予定です。

≪注釈≫

1 清の考証学者・だんぎょくさいは、『説文解字』のこの一節に対し、「鄭注襍記曰、素、生帛也。然則生帛曰素、對湅繒曰練而言、以其色白也。故爲凡白之偁(鄭玄の『らい』「雑記」の注には、「素とは、加工前の絹だ」とある。つまり加工前の生絹を素と呼ぶのは、精練し加工したものを練というのに対してであり、その色が白いからである。そこから、およそ白いもの一般を表す語となった)」(『説文解字注』巻13・上)と注をつける。
2 中国最古の詩集とされる。儒教の重要な経典の一つともされており、孔子は『詩経』を非常に重んじていた。
3 『論語』の古注と新注における「後素」の解釈については、小島毅「『論語』の解釈変更──古注から新注へ──」(『文化交流研究 : 東京大学文学部次世代人文学開発センター研究紀要』第29号、2016年、73〜87頁)を参照した。
4 『論語集解』も『論語集注』も、何晏・朱熹が、それ以前の『論語』注釈を整理しながらまとめた注釈書であり、必ずしも何晏や朱熹個人の独自解釈というわけではない。
5 後漢の学者。『周礼しゅらい』、『礼記』といった儒教経典に注釈を施した。何晏は『論語集解』のなかで、鄭玄や馬融ら先行する学者の注を引いている。なお、鄭玄、馬融の『論語』注釈は現在散逸している。
6 『考工記』は、西周の周公旦がまとめたとされる『周礼』の一部であり、古代中国の工芸と技術に関する文献。ただし、『周礼』の成立年代については諸説あり、『考工記』も実際には西周よりも後の成立であると考えられている。

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≪参考リンク≫

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