歴史・文化

なぜ「海」の中に「毎」があるのか【上】|やっぱり漢字が好き25

なぜ「海」の中に「毎」があるのか【上】|やっぱり漢字が好き25

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 酷暑が続いている。季節柄、漢字の「海」について取り上げたい。全3回の予定である。

 タイトルの問いに対し先に結論を述べれば、「海」は形声文字であり、「毎」は「海」の発音を示す声符に過ぎない。つまり「毎」の意味は「海」の字義に何ら関与しない。この点については【下】で再度触れる。

 まずは「形声文字とは何か」から説明したい。多くの形声文字は構造上、意味カテゴリーを表す義符と、字音を示す声符から構成される。例えば、

  柏=木(義符)+白(声符)

  河=氵(義符)+可(声符)

  銘=金(義符)+名(声符)

 基本的に声符の表す意味はそれを含む形声文字の意味に関与的ではない。声符は単に形声文字の字音を示す要素に過ぎない。形声文字の音読み(呉音、漢音)はその声符の音読み(呉音、漢音)と基本的に接近している。上の例で言えば、

  柏(呉音:ヒャク、漢音:ハク)≒白(呉音:ビャク、漢音:ハク)

  河(呉音:ガ、漢音:カ)≒可(呉音:カ、漢音:カ)

  銘(呉音:ミョウ、漢音:メイ)=名(呉音:ミョウ、漢音:メイ)。

 ところが一部の漢字は声符の音読みとその形声文字の音読みがかけ離れている。

  帖(呉音:ジョウ、漢音:チョウ)≠占(呉音:セン、漢音:セン)

  落(呉音:ラク、漢音:ラク)≠各(呉音:カク、漢音:カク)

 そして「海」もこの類の漢字である。

  海(呉音:カイ、漢音:カイ)≠毎(呉音:マイ、漢音:バイ)

 日本漢字音(呉音と漢音)はおおよそのところ、中国の中古音(隋唐時代の漢字音)の体系に基づくものであり、日本漢字音における「海」とその声符「毎」の発音の違いも、中国中古音の違いを反映している。つまり日本が漢字音を取り入れた時点で、「海」と「毎」の発音は異なっていたということである。

 しかし、声符と形声文字は原則として発音が近いものでなければならない。そうでなければ、声符の発音を示すパーツとしての効果が得られなくなってしまう。特に文字が作られた当初は、これは極めて強い原則であったと考えられる。実際、日本漢字音や中国中古音に関わらず、多くの形声文字は声符と発音が近い。

 さらに中国音韻学研究の領域では、声符と形声文字の関係について、①基本的に音節頭の子音(これを中国音韻学では「声母」と呼ぶ)の調音部位が同じでなければならず、②声母が破裂音と鼻音同士では声符と形声文字の関係になれない、と言われている。

 ちょっと難しいのでかみくだいて紹介したい。①の原則は、たとえば声符の声母が両唇破裂音p-/ph-/b-であれば、その声符によって構成された形声文字も同じp-/ph-/b-(phはpに呼気が伴った有気音)の範囲に収まり、他の調音部位の破裂音、例えば調音部位が軟口蓋のk-/kh-/g-や、歯音のt-/th-/d-の声母を持つことはないということである。

 ②の原則は、破裂音p-と鼻音m-がたとえ同じ調音部位(唇音)であっても、形声文字の声母がp-でありつつ、その声符の声母がm-であるとか、或いはその反対、形声文字の声母がm-でありつつ、その声符の声母がp-であるような現象は基本的にないということである。上で挙げた「柏」「河」「銘」はいずれもこの①②の原則に合致する。

 以上の原則に適合しない場合は、声符と形声文字の関係にないと見なすか、あるいは特殊な説明が必要となる。そして、「毎」と「海」はまさに「特殊な説明」が必要な組み合わせである。中国中古音で「海」の声母は軟口蓋摩擦音x-(日本語のハ行に近い音、具体的音声は東京外国語大学「IPA 国際音声字母(記号)」を参照)、「毎」は両唇鼻音m-で、上の原則から大きく逸脱している。

 それではなぜ、「毎」は「海」の声符となり得るのか。次回、この点について目下広く受け入れられている学説を紹介したい。

次回「やっぱり漢字が好き26」は8月23日(金)公開予定です。

≪参考資料≫

東京外国語大学「IPA 国際音声字母(記号)」、https://www.coelang.tufs.ac.jp/ipa/index.php
李方桂『上古音研究』、商務印書館、1982年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「海」を調べよう

≪おすすめ記事≫

やっぱり漢字が好き18 輸=シュ?/ユ?、洗=セイ?/セン?——「百姓読み」あれこれ(上)—— はこちら

≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

記事を共有する