歴史・文化

なぜ「海」の中に「毎」があるのか【中】|やっぱり漢字が好き26

なぜ「海」の中に「毎」があるのか【中】|やっぱり漢字が好き26

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 時節柄、引き続き「海」の話である。前号「なぜ『海』の中に『毎』があるのか【上】」では、形声文字と声符の字音上の関係に関する原則を確認した。今号では、形声文字とその声符の発音が異なる「海」と「毎」について取り上げ、なぜ「毎」が「海」の声符たり得るのかについて、現在広く受け入れられている学説を紹介したい。

 これについては、中古音をさらに遡り、漢字が作り出されてからまだ間もない時期である上古(周代から漢代)の時代の漢字音の体系、すなわち上古音から考えなければならない。

 現在の研究では、上古音の段階で「海」と「毎」の声母(音節頭の子音)は接近していたと考える。まず「毎」の声母についてであるが、日本の呉音や中国中古音(隋唐時代の漢字音の体系)のみならず、現代中国語の普通話(共通語)や中国各地の方言でもm-の声母を持っているので、上古音でもそのまま*m-で復元される(「*」はその発音が推定音価であることを示す記号)。

 一方「海」は日本の呉音で軟口蓋破裂音k-(すなわち音読みの「カイ」)、中国中古音で軟口蓋摩擦音x-、現代中国語の普通話(ピンインではhǎi)や各地の方言では軟口蓋摩擦音x-や声門摩擦音h-(x-やh-の具体的音声は東京外国語大学「IPA 国際音声字母(記号)」を参照)の声母を持つことから、中古音の段階で「海」はすでに軟口蓋摩擦音x-であったと見なされる。その上で、前回紹介した声符と形声文字に関する原則①②に照らすと、「海」は上古音の段階では「毎」に近いm-系の声母を持っていたと考えられる。

 現在、「海」と「毎」の関係をより自然に説明するために、「海」の声母に対し、m-の無声音である*-(または*mh-と表記することも)を復元し、上古から中古にかけて一部の地域で*->x-という音変化があったと推定する。やや専門的にその字音を示すと、

    上古   中古

  毎:*mˤəʔ > muʌi

  海:*ˤəʔ > xʌi

  (「上」は中国中古音の声調である平声、上声、去声、入声のうち、上声であることを示す)

と復元される(ただし異なる復元音を示す研究者もいる)。同じく「毎」を声符にもつ「悔」(呉音:ケ、漢音:カイ)も同様に*ˤəʔと復元される(m-の無声音などという発音は日本語の音韻体系にないので想像しにくいと思うが‥‥‥)。

 このほか、

       中古音:m-             中古音:x-

  墨(呉音:モク、漢音:ボク)    黒(呉音:コク、漢音:コク)

  忽(呉音:コツ・コチ、漢音:コツ) 勿(呉音:モツ・モチ、漢音:ブツ)

なども「毎」と「海」の関係と平行しており、これらに対しても上古音では前者に*m-を、後者に*-を復元する。

 紙幅の都合で今号はここまでとしたい。次号では、上古中国の出土文献、具体的には中国戦国時代(前5世紀〜前221年)の南方の大国楚の竹簡(これを「楚簡」と呼ぶ)にも、「毎」と「海」と似たような関係、すなわち中古音でm-の声母を持つ文字とx-の声母を持つ文字が接触する現象があることを紹介したい。

次回「やっぱり漢字が好き27」は9月6日(金)公開予定です。

≪参考資料≫

東京外国語大学「IPA 国際音声字母(記号)」、https://www.coelang.tufs.ac.jp/ipa/index.php

Sagart, Laurent & Baxter, William H. Reconstructing the *s- prefix in Old Chinese. Language and Linguistics 13. 2012

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「海」を調べよう

≪おすすめ記事≫

やっぱり漢字が好き18 輸=シュ?/ユ?、洗=セイ?/セン?——「百姓読み」あれこれ(上)—— はこちら

≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

記事を共有する