「祇園」が、実は全国的にもややこしかった話

漢検協会が京都・祇園に引っ越してから早1ヶ月。近所を散歩すると様々な字形の「祇園」の文字を目にします。以前、「祇園」の「祇」が「示氏」なのか、それとも「ネ氏」なのかという問題についてご紹介しました。やれやれ一件落着と思いきや、「祗園」(「示氐」(氏の下に一))または(「ネ氐」)と書かれた看板を見つけて、さらなる疑問が沸きました。
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「祇」と「祗」は、非常に形が似ていますが、全くの別字。Web版漢字辞典「漢字ペディア」によれば、「祇」は音読みで「ギ」訓読みで「くにつかみ」と読む漢字。一方、「祗」は音読みで「シ」、訓読みで「つつしむ・ただ」と読む漢字。「祇」とは別の漢字であるとはっきり書かれています。
ということは、「祗園」で「ギオン」とするのはただの誤植かと思いきや、パソコンやスマホで「ぎおん」と打って変換すると、「祇園」に続いて「祗園」が出てくるのでさらにビックリ。これはもう私の手に負える問題ではなさそうです。そこで、地域固有の漢字の使われ方について詳しい、早稲田大学の笹原宏之教授にうかがいました。
―京都の「祇園」には、「示氏」または「ネ氏」などたくさんの字体があります。
笹原教授:ギオンは本来的には祇園で、字体は篆書に従えば「示氏」でした。ただ、手書きでは、古来、「ネ氏」となりやすく、JIS規格でも1983年にそれが見出しになったため、活字でもよく見られるようになりました。
―「示氐」や「ネ氐」を用いる看板もあります。本来、「祇」と「祗」は全くの別字だと思うのですが…。
笹原教授:「示氐」は、御指摘のとおり別の字ですが、古くから混同されてきました。「低」や「底」が影響してしまったのでしょうね。「氐」は「氏の下に丶」のようにも書かれました。「示氏」をパソコンで探して、示偏であることにばかり目がいき、画面上に小さく出た「祗」を選んでしまう、いわゆる「誤入力」による使用も生まれています。これも、筆法によって「ネ氐」とも書かれています。
―時代と共に漢字も形を変えていくのですね。
笹原教授:若い人ほど、「ネ」と「示」とが同じものだったことを忘れ始めていますので(そもそも片仮名の「ネ」も示偏からできています)、活字のとおりに書こうとしてしまいます。フォントもまた、手書きの影響を受けて設計される事態となっていて、この循環が現象にややこしさを増しています。
―なるほど。つまり、これは京都ならではの地元問題ということでしょうか。
笹原教授:実は、「ギオン」表記の混乱は京都だけでなく各地で見られます。祇園信仰の拡大とともに、日本各地に祇園社と祇園地名が広まりましたが、各地でどれを正式とするか判断が分かれました。「祗園」を正式と決めている自治体もありますし、「ネ氐」を正式としたところもあります。※1
―そうなんですね!もし「祗園」の表記に慣れた人が京都の「祇園」の看板を見たら「一本足りない!」と思うかもしれないですね。
笹原教授:そうですね。こうした一部の地域特有の使われ方をする漢字を「地域漢字・方言漢字」と呼んで私も研究しています。
ふと見かけた看板の文字の違いが、意外と深い漢字の歴史の話につながるとは…。皆さんが普段当たり前に見ているその漢字も、調べてみると意外な歴史や背景が隠されているかもしれません。
地域漢字・方言漢字について詳しく知りたい方には、笹原宏之先生の『方言漢字』(角川選書)がお薦めです。また、6月29日にオープンする漢検漢字博物館・図書館(漢字ミュージアム)にも方言漢字のコーナーがありますので、ぜひご覧ください。
※1「ぎおん」の表記例
祗(示氐)…奈良県磯城郡田原本町祗園町、鹿児島県鹿児島市祗園之洲町(ネ氐)…岩手県西磐井郡平泉町平泉字
園、愛知県岡崎市矢作町字
園
≪参考文献≫
『現代日本の異体字』笹原宏之、横山詔一、エリク=ロング編 (三省堂)
≪参考リンク≫
漢検 漢字博物館・図書館(漢字ミュージアム)のホームページはこちら
漢字ペディアで「祇」を調べよう。
漢字ペディアで「祗」を調べよう。