あつじ所長の漢字漫談52 新元号「令和」を考える 第3回

著者:阿辻哲次(京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長)
【いよいよ新元号「令和」の時代が始まりました!漢字文化研究所のあつじ所長が、4回にわたって「令和」について考えます。今回はその第3回「『令』とはどういう意味の漢字か」です。】
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第1回「出典を『万葉集』とすること」
第2回「令和をレイワと読むことについて」
③「令」とはどういう意味の漢字か
「令」は一般的に「命令」や「号令」ということばに使われるから、他者に対して威圧的かつ支配的なイメージをあたえ、そのような漢字は元号にふさわしくない、という意見もあるようです。
「令」は最古の漢字字典『説文解字』(西暦100年)では「号を発する」と解釈されています。この漢字はいま見ることができる最も古い漢字である「甲骨文字」にも右のような形で使われていますが、この形はひざまずいた人間が下にいて、そこへ向かって上から口で命令を発しているようすを表していると考えられます。だから「命令」「指令」という意味では「上から目線」の漢字であることはまちがいないといえるでしょう。
しかし一つの漢字にいくつかの意味があることは珍しくなく、令にも「命令する」のほかにもいくつかの意味があります。そして「令和」の出典である『万葉集』の「初春令月」という文章では、「令」は「よい・すばらしい」という意味で使われています。「ご令嬢」とか「ご令息」などの「令」がこの「よい・すばらしい」という意味で使われているのですが、それでは「命令する」という意味の「令」が、いったいなぜ「よい・すばらしい」という意味を表すようになったのでしょうか?
これを考える手がかりは「霊」という漢字にあります。
「幽霊」とか「霊魂」、「霊廟」ということばに使われる「霊」(本来の字形では「靈」)は、もともとは空にいる先祖の魂を地上に呼ぶ巫女のことでしたが、いまの中国語ではその意味よりもむしろ「(クスリなどが)よく効く」、あるいは「頭の回転が速い」という形容詞で使われることが多く、リンと発音されます。
数年前のこと、仕事で台湾に行き、お茶を買いにコンビニに入ったら、目の前の棚に緑のボトルに入った家庭用洗剤があって、容器に「魔術靈」と書かれていました。おや、この洗剤はどこかで見たことがあるなぁ・・と考えていて、ハッと気づきました。それは花王が台湾で販売している「マジックリン」だったのです。
「霊」が同じ意味で使われていることばに、「霊験」があります。「霊験」とは敬虔な信仰に対して神や仏が示す不思議な験(あかし)のことで、また「霊峰」や「霊薬」ということばがあるように、「霊」という漢字には「はかりしれないほど不思議な」とか「神々しい」、「とても素晴らしい」という意味があります。
しかし「霊」の旧字体「靈」はなんと24画もある複雑な形で、覚えるのも大変ですし、覚えていたとしても、書くのははなはだ面倒です。それで早い時代から、手っ取り早く書けるように、「靈」と同じ発音で、ずっと簡単に書ける「令」をこの漢字のあて字として使いました。その結果「令」に「よい・すばらしい」という意味が備わり、それで「令嬢」とか「令息」といういい方ができた、というわけです。新元号の出典とされる「初春令月」もまさにこの使い方で、「(初春の)このすばらしき月」という意味ですから、この「令」には命令的なイメージも、傲慢な「上から目線」もまったく存在していません。
次回は第4回「『令』の下は《卩》と《マ》のどちらが正しいのか?」です。お楽しみに!
≪参考リンク≫
漢字ペディアで「令」を調べよう
漢字ペディアで「和」を調べよう
漢字ペディアで「霊」を調べよう
≪著者紹介≫
阿辻哲次(あつじ・てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長
1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。また、2017年10月発売の『角川新字源 改訂新版』(角川書店)の編者も務めた。
《記事写真・画像出典》
・甲骨文 二玄社『大書源』
・魔術霊 著者撮影