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四字熟語根掘り葉掘り70:賛美歌の響きと「大器晩成」

2020.09.07

四字熟語根掘り葉掘り70:賛美歌の響きと「大器晩成」

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 若いころにイギリス南部を旅行した際、ソールズベリーという町の大聖堂に立ち寄ったことがあります。中世に造られたというその建物は、想像以上の高さと威厳があって、中から聞こえてくる美しい賛美歌のハーモニーに、宗教とはこういうものなのかもしれない、と考え込まされたものでした。

 ヨーロッパには各地にキリスト教の大聖堂がありますが、驚くのはその建築にかかった時間の長さ。数十年から100年程度ならば短い方で、数百年かかったものもめずらしくないのだとか。有名なドイツのケルン大聖堂などは、200年ほどの中断期間を除いても、約400年もの間、工事をしていたというからびっくりです。

 その工期の長さからすると、大聖堂の建設に生涯を捧げながらも完成を見ることなく世を去って行った職人さんたちが、たくさんいたことでしょう。彼らは、自分が生きているうちに完成することはない、とわかっていたのではないでしょうか。そんなとき、人はいったい何をモチベーションにして仕事を続ければいいのでしょうか……。

 さて、「大器晩成(たいきばんせい)」とは、紀元前数世紀の昔に中国で書かれた『老子』の一節に由来する四字熟語。文字通りの意味は、〈大きい器は、出来上がるまでに時間がかかる〉こと。ここでの「晩」は、「晩学」の「晩」と同じで、訓読みすれば「おそい」となるような意味だと解釈されています。

 ただ、それが本来の『老子』に忠実な解釈なのかというと、そうでもありません。というのは、20世紀になってから発見された、原形に近い姿を伝えると思われる『老子』のある写本では、「晩成」が「免城」になっているからです。

 当時の中国語では、「免」を〈○○することがない〉という意味で使うことがありました。一方、「城」は、「成」に対する当て字。つまり、「大器免城」は、〈大きな器とは、けっして出来上がらないものだ〉という意味になるのです。

 これは、『老子』一流の逆説なのでしょう。どんな偉大なものでも、完成してしまったらそこでおしまい。それ以上にはなりません。しかし、未完成のままのものは、常にそれ以上になる可能性を秘めています。だから、〈完成したもの〉よりも〈未完成のままのもの〉の方が価値がある。「大器晩成」も、そういうふうに解釈してみたく思います。

 中世ヨーロッパの建築職人さんが『老子』を読んでいたはずはありませんが、彼らも案外、自分が生きているうちにはこの大聖堂は完成しないとわかっていたからこそ、その仕事の尊さを実感できていたのかもしれません。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「大器晩成」を調べよう

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≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

≪記事画像≫

saiko3p/ PIXTA(ピクスタ) (ケルン大聖堂)

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