新聞漢字あれこれ111 「入」か「人」か、そこが問題
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
「陝」と「陜」。よく似た字で、パソコン画面などでは目を凝らして見ないと判読がつかないかもしれません。つくりの部分が「入」と「人」とで異なっています。
いまでもこんな間違いがあるのだなあと思った事例がありました。昨年11月、中国の陝西省の陝が陜になっていた記事があったのです。これは担当した校閲記者がすぐに見つけて直りました。執筆したのが中国駐在経験のあるベテラン記者だっただけに、なぜ間違ったのか不思議でしたが、字のチェックポイントを押さえておけばミスは未然に防げるものです。
つくりの部分字形が「入」である陝(セン)に対し、陜(キョウ)は「人」。新聞での使用例は陝のほうが圧倒的に多く、陜はごくわずかです。それだけに入れ替わっていても気づきにくいものなのかもしれません。複数の漢和辞典・漢字字典に、それぞれの項目で別字であるとの記述が見られることから、昔からよく取り違えられた字だったのでしょう。
実はこの2字。かつては別な事情から間違えられることがあったのです。日本経済新聞では表外字のフォントに拡張新字体(※)を採用していた時期があり、当用漢字字体表で「狹」を「狭」にしたのと同じように、陜のつくりの部分を簡略化した字形にしていました(画像の中央参照)。ただ、この字は中国で用いられる陝の簡体字と同じ字形だったため混乱が生じ、中国駐在の記者が現地と同じ表記で記事を書いてくる事態となったのです。これでは「陜西省」と表記していることになってしまいます。混乱回避のため1999年に拡張新字体を陜に改めました。
拡張新字体については功罪相半ばするところがあったと思います。複雑な字形を簡単に書き表せるという良い面がある一方で、陜のように使用頻度の高くない字を簡略化することで元の字が何であるか分からなくなる面があったことです。2000年に国語審議会が「表外漢字字体表」を答申して以降、拡張新字体を目にする機会は減ってきましたが、20年以上たった現在でも少なからずその影響は残ります。
陝と陜に限らず、似た字を混同する事例はたくさんあります。そこには思い込みや誤読など様々な事由が見え隠れします。誤字をいかに減らしていくことができるのか。そんな取り組みの一環として、この1月から日経校閲ツイッターで「#そっくり漢字」という企画を始めました。校閲記者の自戒の思いと、世の中の誤字が減ることへの願いを込めたものです。
※拡張新字体:常用漢字表で採用されている新字体の略し方を表外字にも及ぼした字体。辞典類に見られない字形があったため、使用にあたり一部混乱も見られた。
≪参考リンク≫
「日経校閲ツイッター」 はこちら
漢字ペディアで「陝」を調べよう
漢字ペディアで「陜」を調べよう
≪おすすめ記事≫
新聞漢字あれこれ67 懐かしい幻の漢字字体 はこちら
新聞漢字あれこれ102 「傳」と「傅」見分けるポイントは点の有無 はこちら
≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。