歴史・文化

やっぱり漢字が好き。9 書体は語る(中)

やっぱり漢字が好き。9 書体は語る(中)

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 前号では文字の書体と「場」(文体や内容)が結びついている例として、古印体ないしは淡古印というフォントを紹介した。その例示はいずれもサブカル的事例であったが、書体と「場」の結びつきは、無論、サブカルという範囲に止まらない。

 たとえば、篆書という書体がある(図2-1、図2-2)。現代の我々はハンコの文字として見ることが多く、これを読んでいる方々の中にも、篆書の印鑑をお持ちの方もいるかもしれない。篆書は、現代においてしばしば碑文の題字や公印といったメモリアルな、または礼儀的な「場」で用いられる。図2-1は上野の東京国立博物館に立てられている石碑であり、図2-2は大学院の修了証書の公印であるが、いずれも見事な篆書を用いている。また、パスポートの表紙に書かれている「日本国旅券」の文字も篆書である。

図2-1 東京国立博物館「町田石谷君碑」(筆者撮影) 図2-2 某大学公印の一部(上2文字が「大学」、下2文字が「院人」、筆者撮影)

(左)図2-1 東京国立博物館「町田石谷君碑」(筆者撮影)

 (右)図2-2 某大学公印の一部(上2文字が「大学」、下2文字が「院人」、筆者撮影)



 このほか、隷書という書体も特定の「場」で用いられることが多く、組織の名前の公的表記や表札にしばしば見られる。たとえば図2-3は、東京藝術大学の門に掲げられている表札であるが、隷書で書かれている。朝日新聞や読売新聞など新聞の題字もしばしば隷書を用いる。さらには日本の紙幣にも隷書は見られる。お札をお持ちの方は取り出して見てみてほしい。額面の「千円」「五千円」「壱万円」や「日本銀行券」の文字が隷書である。

図2-3 東京藝術大学正門の表札

図2-3 東京藝術大学正門の表札

(筆者撮影)



 なお岩坪充雄氏によると、早くも江戸時代から篆書や隷書は日常の書体ではなく、デザインされた文字という認識のもと、碑文、扁額、本の題目など特別な用途に用いられたものであったという。

 書体が、特定の「場」と結びついているということは、裏を返せば、人はある書体を見れば、特定の内容・文体をイメージする、ということにつながる。古印体は前号で述べたように、印鑑や落款を元にして作られた書体であったが、緊張感のある場面や、怖さを押し出すシーンで用いられることが習慣化した結果、我々は古印体を見て、ホラー感をイメージするようになった。無論、古印体の線の欠けやかすれ具合も怖さを演出するのに一役買っている。

 ここで1つ、古印体から我々がいかに怖い雰囲気を感じ取るのかを示す例を挙げたい。NHK(Eテレ)に「みいつけた!」という子供向け教育番組がある。そのロゴタイプはリンク先をご参照いただきたい。ポップで実にかわいらしい。ところが、これを古印体で表記するとどうなるか。それが図2-4である。迫りくる、人ならざるモノに暗がりから突如、声を掛けられたかのような印象を受ける。このように我々は書体から、文字内容に書かれていない言外の情報を読み取るのである。

図2-4 古印体「みいつけた」

図2-4 古印体「みいつけた」



 私が前号の図1-1のラフな筆書きの「時間貸」という文字を見て、居酒屋や食堂を思い起こしたのは、そのような書体が、食堂や居酒屋、そば屋の看板やメニュー書きに使われるということが、現代日本である程度、慣習化しているからに他ならない。そしてそのような習慣がもたらすイメージが、駐車場という「場」と合わないことで、私は違和感を覚えたのである。

 これは反対から言えば、ある特定の「場」においてそれほど慣習化されていない書体を使うと、意外な効果が発揮されるということをも意味する。たとえばそば屋の看板や暖簾では、多くの場合、筆書きの書体を用いる(図2-5)。

図2-5 そば屋の暖簾(筆者撮影)

図2-5 そば屋の暖簾(筆者撮影)



 一方、下の図2-6は図2-5とは別のそば屋の看板であるが、筆書きではない書体である。そば屋でこのような書体が用いられると、我々は普通のそば屋とは異なる、ポップな印象を受けるのである。

図2-6 そば屋の看板(筆者撮影)

図2-6 そば屋の看板(筆者撮影)



 また、かつて「餃子の王将」のポスターに古印体が用いられたことがあるようで、次のサイトではそれを見た一部のネットユーザーが、食事とホラーというミスマッチにざわついた様子が垣間見える(https://togetter.com/li/1479974)。

(つづく)

≪参考資料≫

岩坪充雄「江戸の文字環境研究―書を見る視点の構築―」、『文京学院大学外国語学部文京学院短期大学紀要』第6号、2007年
大西克也「ハンコはなぜ奇妙な字体をつかうのか——秦の文字統一と東大の漢字から」、『東京大学U-PARL』、2021年

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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