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やっぱり漢字が好き20「尿禁」?「禁尿」? ~二字熟語の語構成~

やっぱり漢字が好き20「尿禁」?「禁尿」? ~二字熟語の語構成~

著者:戸内俊介日本大学文理学部教授)  
 自宅付近を歩いていたとき、たまたま下の注意書きを見つけたので、写真に収めた。この注意書きが何を禁じたものか、みなさんすぐにわかると思います。

「尿禁」の注意書き

 はい、「おしっこ禁止」ですね。とはいえ、「尿禁」なんて熟語は辞書にはない。私も始めて見た。

 これ、よくよく考えてみると変な語構成なんです。一般に、何かの行為を禁止することを表す二字熟語は、「禁」が前に来る。たとえば、「禁煙」、「禁猟」、「禁輸」などなど。これらは、漢語(=中国語)の本来の語順を反映している。つまり「動詞+目的語」。「禁煙」は「煙(=煙草)を禁ずる」、「禁猟」は「猟を禁ずる」、「禁輸」は「輸出入を禁じる」。「禁」が動詞です。

 日本語で逆の順序、つまり「~禁」となるものに「官禁」、「国禁」なんかがある。それぞれ「政府が禁止する」、「国が禁止する」の意味。つまり動詞「禁」の前の名詞は、主語に相当する。これもまた「主語+動詞」という漢語の語順を忠実に反映している。じゃあ「尿禁」が「尿が(何かを)禁止する」という意味になるかというと、そんなおかしな話はない。

 とは言え、日本語の中にも「~禁」で行為の禁止を表す二音節語がないわけではない。代表的なのが「出禁」、「駐禁」、「発禁」。

 「禁煙」、「禁猟」、「禁輸」と「出禁」、「駐禁」、「発禁」が同じように禁止を表すのに、構成が異なる理由は何か?ちょっと考えてみてください。

 上でも書いたように「禁煙」、「禁猟」、「禁輸」は漢語本来の語順である。一方、「出禁」、「駐禁」、「発禁」は実のところ略語である。つまり「出入り禁止」、「駐車禁止」、「発売禁止」の略。これは語順としては漢語ではなく日本語に基づいたもので、禁止する対象(目的語)が禁止(動詞)の前に来る。日本語の基本語順は、「目的語+動詞」。なお中国語ではそれぞれ“禁止出入”、“禁止停車”、“禁止出售”と表現される。すなわち動詞の“禁止”が前に置かれる。

 してみれば、「尿禁」も何かの略語であるとも言えそうである。「排尿禁止」?もし略語でないとしたら「尿禁」は語構成としておかしい。「禁尿」と書かねばならない。

 「尿禁」は漢語の構成原理に即していない。しかしそのような熟語は他にもある。代表的なのが、「券売機」。「チケットを売る」を漢語本来の語構成に従って熟語化すれば「売券」となる。つまり、動詞「売」+目的語「券」。しかし実際には「券売」で、これは「券を売る」という日本語の語順に基づいている。なおチケットに関わる熟語としてはほかに「発券」もあるが、これは動詞「発」+目的語「券」で、きちんと漢語の語順である。

 「券売」が異例な語構成となったほかの理由がないかと思ってインターネットを調べてみたところ、やはりありました。「券売」は純粋な二字熟語ではないという意見。そのうち一つは「自動乗車券販売機」の略であるという説、もう一つは英語のticket vending machineの直訳、つまりticket=券、vending=売であるという説。

 事の真偽はともかく、やはり「XをYする」という意味の二字熟語で、「XY」という順序はかなり異例である。「尿禁」は「排尿禁止」の略と解釈するのが無難でしょう。無論、この注意書きを書いた人は「尿を禁ずる」という日本語の語順に照らして熟語化したかもしれないけれども。

次回、やっぱり漢字が好き第21回は5月1日(水)に公開予定です。

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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